「ねえ、亜美ちゃんはまこちゃんと喧嘩した事ある?」
学校帰りにばったり出会った亜美を誘ってクラウンに来たレイはソーダを一口飲んで聞いた。
「まこちゃんと?そうねぇ…」
口元に手を当ててじっくりと考える亜美の思考にまことの笑顔が浮かぶ。
爽やかな笑顔や照れた笑み。
優しい笑い声、そして…好きだという時に包み込むような微笑み。
色んな笑顔が所狭しと浮かび頭の中がまことで一杯になった亜美はこの場にいない想い人に笑みで応えた。
「喧嘩した事ないみたいね」
「え?」
答えを先回りされ不思議そうに首を傾げる。
「亜美ちゃん見てれば解るわよ」
「や、やだ…」
ぽんと染まった頬を両手で包み俯き亜美は視線だけレイに合わせた。
「そ、そんなに…顔に出てた…?」
「そりゃあもう。幸せそうな顔してたもの」
「そ、そう…」
俯いてちらりと隣の外に面してるガラスに目を向けると真っ赤な顔の亜美が写っている。
だがガラスは照れてる事は伝えてくれたるがレイの言う『幸せな顔』は教えてくれない。
本当どんな顔してたのかしら…
自分の顔が見えないって意外と不便だと亜美は思う。
そんな疑問を携えながらまことを想う亜美の百面相は少なくとも今のレイには十分羨ましく思えた。
「いいわよね亜美ちゃんは…。まこちゃん優しいし頼りになるし、愛情表現もストレートだし…」
「ス、ストレートってそんな…」
…事ないとは言えず語尾を濁す。
「それを言うなら美奈子ちゃんだって…」
「あれはストレートって言うんじゃなくて過激って言うのよ」
「…そ、そうともいうわね…」
実際に間近で見てる分否定の言葉が一つも浮かばなかった亜美は苦笑した。
「あーあ…相手間違えたのかしら…」
テーブルに肘を突いたレイが溜め息混じりに言う。
「レイちゃん?」
何時ものはっきりすっぱりのちゃきちゃきの江戸っ子のようなレイらしくない物言いに心配になった亜美は問いた。
「どうしたの?美奈子ちゃんと喧嘩でもしたの?」
「んー…喧嘩ってわけじゃないんだけど。何かこう…ぎくしゃくしてるって言うのかしらね?こういうの…」
ぼんやりと呟いて居場所を求めた手がストローを回す。
グラスの中でぷくぷくと小さな泡が湧き立ち氷が揺れた。
「最近…会ってないの?」
「一週間くらい会ってないわ。電話も無いから何をやってるかも全然解らないのよ」
薄情よねって笑むレイはどこか寂しそうでかける言葉が見つからない。
「そう…」
小さく頷いた亜美は視線を手元のアイスティーに移す。
ストローを回せばレイとは違う氷の音が聞こえ、ふとまことの事が気になった。
「そういえばまこちゃんもここ一週間くらい忙しそうだわ…」
「え?」
ストローを経由して口に運ばれようとしたソーダがグラスへと戻る。
「…亜美ちゃんもまこちゃんと会ってないの?」
「あ…ううん。そういう訳じゃないけど…。学校が同じだし…」
それは会ってるというより会わざる得ないのではと思いつつレイは続けた。
「学校以外では?」
「…会ってないわ。帰りも授業終わったら直ぐに帰っちゃうし…」
普段のまことは滅多に亜美を一人で帰らせはしない。
亜美が図書室に寄る時は何か興味ある本を探して待つ。
コンピューター室に用がある時は隣でぼうっと画面を覗いている。
時折亜美に話しかけながら、亜美の負担にならないように…
なのに今日亜美は一人で帰路に着いていた。
口にはしなかったが疑問に思ってたレイが一人納得する。
「そっか…。まこちゃんも忙しいんだ」
「…ええ。電話は毎日かかってくるんだけど…」
そこがまことと美奈子の大きな違いだとレイは思う。
「じゃあ大丈夫よ」
「…そうね。少し寂しいけど心配はしてないわ」
「いいわねー。美奈子ちゃんにまこちゃんの爪の垢煎じて飲ませてあげたいわ」
テーブルの上に両腕を投げ出して半分冗談の半分本気で言うレイに亜美はくすりと笑う。
「でも…」
伸ばした腕でもう一度頬杖を突くと憂えた瞳で窓の外を眺める。
ガラスの向こうはスーツ姿や二人と同じ制服姿の人々が無関心な顔で歩いて行く。
普段は自分もあんな顔で歩いてるのかと思うと少し寂しくなる。
だが、その中で腕を組んで歩くカップルだけは微笑みを称え幸せそうに見えた。
私も美奈子ちゃんと一緒にいる時は幸せそうに笑っているのかしら…
ガラスに写る自分に問いかけるが返事はない。
「…連絡くらいよこしなさいよね」
ガラスを人差し指で軽く引っ掻き今は笑う気にもなれないレイは寂しそうに呟いた。
「レイちゃんが?」
「ええ。かなり寂しそうだったわ」
まことが気になり続けた亜美は塾の帰りにレイの事を相談するという名目を持ってまことの家に寄った。
「あちゃー。美奈子ちゃん電話もしてないのかー」
新緑を思わせるパジャマにその身を包ませたまことが手で顔を覆い天を仰ぐ。
「会えないのは仕方ないけど電話くらいはしろって言っておいたんだけどなー…」
やれやれと溜め息をつくまことの口ぶりに首を傾げた亜美は疑問をそのまま口にした。
「まこちゃん美奈子ちゃんと会ったの?」
「えっ!?」
ぎくりとまことが顔を強張らせる。
「あ、いや…それは…」
「そうなのね」
知っていると顔で語ったまことに亜美の目は厳しくなった。
「二人でコソコソと何をやってるの?」
「べ、別にコソコソしてる訳じゃ…」
「やっぱり二人で何かしてるのね」
「はうっ!」
見事に誘導尋問に引っかかったまことは慌てて口を押さえるが表に出た言葉はもう消す事が出来ない。
「どうして隠すの?私達に言えないような事してるの?」
「そ…それは…その…」
天井を見つめてひたすら口ごもるまことの額に一筋の汗が流れる。
「まさか…まこちゃん…」
「え?」
急に声のトーンが落ちた亜美についと視線を移す。
「美奈子ちゃんと…」
「ち、違う!違う!そんなんじゃない!!」
両手を振ってまことは慌てて亜美の考えを否定した。
「…本当に?」
「本当本当!何であたしが美奈子ちゃんとそうならきゃいけないんだよ!」
聞き方によればかなりひどい事をまことはさらりと言う。
「じゃあ教えてくれるわね?」
「あ…」
にっこりと微笑む亜美にまことの顔がしまったと呟く。
そう来たか…
頭脳戦で亜美に適う筈もなく誘導尋問第二弾にも見事に嵌まったまことは溜め息をついて頭を掻いた。
「…詳しい事は言えないよ?美奈子ちゃんに口止めされてるからさ…」
念の為と先に忠告する。
「ええ。話せる範囲で良いわ。それに何か解れば少しはレイちゃんも元気になれるかもしれないし…」
レイの名前を出されたら話さない訳にもいかずまことは腕組みをしてどこまで話せるか考えた。
しかし考えれば考えるほど、美奈子との約束と落ち込むレイとの間で板挟みになり眉間の皺が増えていく。
「…美奈子ちゃんとはどこで会ったの?」
暫く続きを待っていた亜美だったが眉間が三本目を刻んだ頃助け舟を出した。
「…ここ」
「ここって…まこちゃん家?」
思いもよらない場所に亜美は少し声のトーンを上げた。
「それって美奈子ちゃんがまこちゃん家に一週間通ってるって事なの?」
「うん…まあ…」
気まずそうにまことは頬を掻く。
「どうして?」
「それは…」
それが言えないからまことは惑っているのだ。
「やっぱり…まこちゃん…」
一緒に帰れない理由。
会えない理由。
それは美奈子がまことの家に来るから。
そう繋げた亜美は今度は誘導ではなく本当に声を曇らせた。
「だからっ!違うってば!」
頭を抱えてまことが叫ぶ。
「ああもうっ!」
美奈子ちゃんごめん!
亜美の不安に揺れる瞳に勝てずに心の中で美奈子に謝るとまことは真相をぽつりぽつりと話し始めた。
「亜美ちゃん明後日、何の日か覚えてる?」
「明後日?」
口元に手を当てて頭の中のカレンダーを捲る。
学校、塾、まこととの約束、今日を含めた前後一週間のスケジュールが次々と当て嵌められ、やがて花丸がついた明後日に行き当たった亜美は思い出したようにまことを見つめた。
「あっ…。だから美奈子ちゃんはまこちゃん家に…?」
「うん、そういう事。あとは買い物に付き合ったりもしたけど」
立てた膝を抱えてまことが体を揺り篭のように揺らす。
「でもどうしてその理由でレイちゃんと会えないの?」
「何かの拍子に喋っちゃいそうだからだって。驚かしたいらしいんだ。んで念の為にってあたしも口止めされてたんだ」
「そうなの…ごめんなさい」
理由が解ってほっとするよりも無理やり話させてしまった後悔の方が先に立つ。
「ううん。正直あたしも話せてほっとしたよ。亜美ちゃんに秘密にしてるの心苦しくてさ」
頭を掻いてほっとしたように笑うまことに亜美の心も軽くなる。
「あ、いけない!」
「ん?」
手で口元を覆う亜美にまことが首を傾げる。
「私…何も用意してないわ…」
「何だ。そんな事か」
何事が起きたかと心配したまことは理由を知ってほっと安堵の息を落とす。
「そんな事って…」
「明後日は美奈子ちゃんに任せようよ。そうすれば日にちもまだあるし大丈夫だよ」
まことの打開策に少し考えてから亜美は頷く。
「そうね。当日にみんなで言ったらお邪魔になるだけよね」
「そうそう。ほら人の恋路を邪魔する奴はカバに蹴られるって言うじゃないか」
人差し指を立てていうまことに亜美が笑顔のまま固まる。
「…それを言うならカバじゃなくて馬よ…」
「えっ…」
「まこちゃん、美奈子ちゃんみたい」
「一週間付き合ってたら美奈子ちゃんが移っちゃったかなー」
くすくす笑い出す亜美にまことも声を出して笑った。
そして久しぶりのキスをする二人は気づかない。
あまりにも日常過ぎてかなり失礼な事を言ってる事に…
分厚い灰色の雲が天を覆う夜は星の瞬きも月の輝きも確認する事が出来ず心まで暗雲が立ち込める。
「光が一つも見えないわ…」
湯冷ましにと雨戸を開けて天を見つめていたレイは溜め息を一つ落として雨戸に手を掛けた。
だが、縁側に落ちた人影に気づいてレイが鋭い眼光で向き直る。
「そこにいるの誰っ!」
戦士の激しい気迫を携え何時でも攻撃が出来るようにレイは身構えた。
「はーい。お久しぶりー」
「美奈子ちゃん…」
手に白い正方形の箱を持って気の抜ける挨拶をする美奈子に脱力感を覚える。
「こんな時間に一体何の用よ」
行き場を失った拳を声に変えて素っ気無く言い放つ。
「あら。一週間ぶりに会ったのに随分な挨拶ねー」
言う程美奈子にがっかりしてる様子は無く軽やかな足取りでレイに近寄る。
「今お暇かしら?」
「暇じゃないわ」
「あのね…」
間髪入れずにすっぱりと断るレイにさすがに二の句が告げない。
「もう寝るのよ。用が無いなら帰ってよ」
「待って!あと1分待って!」
取り付く島も無く雨戸を閉めようとするレイを慌てて美奈子は止めた。
「1分?何よそれ」
「いいからいいから」
機嫌悪く聞き返すレイに何時もの調子で手をお辞儀させると美奈子はそのまま腕の時計に目を向ける。
「9、8、7…」
秒読みを始める美奈子に仕方なく腕組みをしてレイは待った。
「3、2、1…」
カチッと時計が十二時丁度を教えた。
「ハッピーバースディー、レイちゃーん」
「はっ?」
訳が解らないレイが目を丸くする。
「何よその顔ー。自分の誕生日忘れちゃったの?」
「あ…」
言われて今日が十六日の夜だった事をレイは思い出した。
そして美奈子が数えたように十二時を過ぎた今、日付は十七日に姿を変えていた。
「はい。これプレゼント」
呆然とするレイの手に持っていた箱を押しつける。
「え…あ、ありがとう…」
箱と美奈子を交互に見つめて意識の無いまま礼を言う。
「開けてみて。これでも私頑張ったんだから」
「頑張った?」
大きさの割りに重みのあるその箱をそうっと開けると中から人目で手作りと解るケーキホールのまま顔を出した。
「これ…」
「まこちゃんに教わって作ったんだけどいまいち綺麗な形にならなくて…」
乾いた笑み浮かべるパティシエが言う通り真円が引っ張られた楕円の形をした傾斜が波打つデコレーションで固められている。
上に乗っている苺も均等とは縁遠く、真ん中にチョコレートで書かれた『ハッピーバースディ』の文字は酒を飲んで書いたかと思う程みみずが這っていた。
「あ、味は大丈夫よ!まこちゃんにちゃんと味見して貰ったから」
見つめたまま動かないレイに美奈子が慌てて付け足す。
「レ、レイちゃん?」
呼ぶ声も聞こえないレイの顔の前で手を振ると今気づいたように美奈子を見つめる。
「な、何?」
逃げ腰で問う美奈子に無言のままレイは踵を返した。
「あのーもしもし?」
置いてけぼりにされた美奈子が惑ってレイの背中を呼ぶ。
「何やってるのよ」
「え?」
「早く部屋に入って雨戸を閉めなさいよ。泥棒が入るじゃない」
振り向かないまま言うレイに美奈子はくすりと微笑んだ。
「相変わらず…素直じゃないわね」
言いながらもそんな所も気に入ってる自分を少し可笑しく思う。
「早くしなさいよ」
「今行くわ」
急かされた美奈子はそれでもゆっくりと部屋に入りガタガタ音を鳴らして雨戸を閉めた。
「…改めて見るとかなり凄い形ね…」
台所からケーキナイフ、それに皿とフォークを2つづつ持って来たレイはケーキを眺めてしみじみと呟いた。
「だから見た目じゃなくて味で勝負だって言ってるでしょ!食べれば解るわよ」
包丁を入れるのを躊躇うレイに美奈子が頬を膨らます。
「…解ったわよ」
楕円の真ん中に包丁を当てるとケーキとは思えぬ弾力が返ってくる。
…喉に詰まりそうだわ。
心の中で呟きながら蒟蒻を相手にする気持ちでレイはケーキを切った。
切り口の潰れた半月が二つ出来る。
更にそれをアーモンド型に切って皿に乗せるとレイは美奈子に渡した。
「レイちゃん…切り方下手ね」
「あんたが作ったケーキのせいでしょ!」
自分の腕を棚上げして文句を言う美奈子にレイが叫ぶ。
「ほ、ほほ…。と、とにかく食べましょうよ。味は最高なんだから」
当たり前の突っ込みを笑って誤魔化しささっとレイに勧める。
「本当なんでしょうね…」
ごくりと息を飲み意を決したレイは勢いよく口に運んだ。
グミを噛む要領で噛み締め一気に飲み込む。
「どう?」
「…美味しい」
「でっしょー」
見た目とは対照的な味を持つケーキを見つめ呟くレイに美奈子がエッヘンと胸を張る。
「だから味で勝負だって言ったじゃない」
「そうね…。その言葉が一番ピッタリのケーキだわ」
「…それ褒めてるの?」
褒められた気がしなくてもう一度問う。
「や、やあねー。褒めてるに決まってるじゃない。美奈子ちゃんにしては上出来よ」
「やっぱ褒めてないじゃない…」
フォローというより追い討ちをかけるレイに美奈子がいじける。
「どーせ私は料理に向いてないわよ。これでもまこちゃんに頼み込んで一週間必死に練習したのよ?」
「それで電話も無かったのね…」
生クリームと格闘する美奈子が目に浮かぶ。
放ったらかしにされた一週間は全てこの噛めば噛むほど味の出るするめのようなケーキの為だと思えば例え普通より2倍腹持ちしようともう一切れ食べようという気持ちになる。
「もう…努力してくれたのは嬉しいけど電話くらいよこしなさいよね」
「あら?」
頬を染めて怒りながらも残りのケーキに手を伸ばすレイを美奈子は背中から抱きしめた。
「もしかして寂しかった?」
耳元でくすくす笑いながら痛い所を突いてくる美奈子にレイの顔が真っ赤に染まる。
「そ…そんな訳ないでしょ!!水子霊じゃないんだから離れなさいよ!!」
「水子霊って…」
もう少し可愛い物に例えれないのかしらと思いつつ離れる気はさらさら無い美奈子は更に強く抱きしめた。
「ちょ…美奈子ちゃん!」
背中に胸の感触を感じてレイの鼓動が早くなる。
「本当の事言ってくれたら離れてあげるわ」
「今のが本当の事よ!」
「…本当に?」
艶を帯びた囁きにレイは文句の続きを言おうとして開けた口を何も言わずに閉じた。
美奈子の細い指がレイの白い頬をついと撫でる。
「言って…本当の事を…」
耳に吐息を吹きかける美奈子の声にレイの体が震える。
「い、今更…言ってどうなるのよ…」
体だけじゃなく声まで震わせるレイは既に美奈子のペースに巻き込まれていた。
ほくそ笑む美奈子の顔はレイには見えない。
「そうね…レイちゃんの望むままに…でどうかしら?」
含みのある提案に無言のまま自分の手元に視線を落とす。
「寂しい思いをさせた分はちゃーんと埋め合わせするって言ってるのよ?それじゃあ駄目なのかしら?」
レイの手に自分の手を重ね答えの解ってる問いを投げかける美奈子に躊躇う唇が震えた言葉を紡ぎ始める。
「だ、だったら…」
「何?」
「だったら…今日は泊まってくんでしょうね…」
真っ赤な顔で体を強張らし、おまけできつい口調で言われた望みに妖艶な笑みが応える。
「…いいわよ」
ついとレイの顎に指を添えてレイの顔を自分に向けさせ微笑む。
「朝が来るまでずっと祝ってあげるわ」
「美奈子ちゃん…」
「誕生日おめでとう」
改めて言うと美奈子はキスをして今日という日に感謝した。



