「ねえ、明日の日曜日ダブルデートしない?」
クラウンの一席で楽し気に人差し指を立てた美奈子の提案にまことと亜美はジュースを吹き出し、レイは盛大に椅子から転げ落ちそうになった。
「ちょ、ちょっと美奈子ちゃん…」
机に両手を突いて、レイが一瞬でたっぷり一日分の疲れを溜めた体を無理やり起こす。
「何かしら?」
「何でこのメンバーでダブルデートなんて言葉が出てくるのよ?」
「このメンバーでって…」
ゆっくりと美奈子は三人の顔を見回した。
「…出てこない?」
ガタンとレイが今日2度目のこけを興じる。
だが先程とは違いテーブルを叩いて勢いよく体を跳ね上げる。
「出てくる訳ないでしょ!?」
「何で?」
「何でって…あのね!ダブルデートっていうのは付き合ってる二つのカップルが一緒にデートする事でしょ?」
「そうよ」
「まこちゃんと亜美ちゃんはともかく!残りの一カップルはどこにいるのよ!?」
指名を受けたまことと亜美は互いに顔を見合わせて、ははっと照れ笑いを浮かべるだけで否定も肯定もしない。
「やだわーレイちゃん。決まってるじゃない」
口元に手を当てて美奈子は手をパタパタと振りながら笑う。
「私とレイちゃん以外に誰がいるっていうのよー」
解ってた筈の返事をやはりそのまま言われレイはがっくりと項垂れた。
「だから…その場合ダブルデートじゃないでしょーが!」
「…レイちゃん」
額に指を当てて首を振るレイの手をそっと両手で包んだ美奈子が声のトーンを落とす。
「な、何よ…」
「私とデートするの…嫌?」
捨てられた子犬の様な瞳で見つめられレイの顔が赤らむ。
「な、そ、そういう問題じゃないでしょ?」
「そう?じゃあOKね」
両手を上げてしてやったりと喜ぶ美奈子に対してしまったとレイは頭を抱え込んだが時既に遅く、話は次の展開に進んでいた。
「でねー、場所はもう決めてあるのよー」
鞄から一枚のパンフをいそいそと取り出した美奈子がテーブルの上に広げる。
「あれ?ここ最近出来たテーマパークじゃないか?」
「そう。ホラー系のアミューズメントばっか集めたという恐怖の集会場よ」
しげしげと覗くまことに美奈子が答える。
「ここかー…」
「楽しそうね」
「うえ?」
うーんと唸るまことの隣で亜美は瞳を輝かせた。
「あ、亜美ちゃん…こういうの好きなの?」
「ええ」
意外そうに聞くまことに亜美が頷く。
「怖く…ないの…?」
「どうして?だって作り物じゃない。まこちゃんはこういうの嫌いなの?」
「え…あ、そ、そんな訳ないじゃないか。あたしもこういうの…好きだよ」
腕組みしてぎこちなく笑うまことに、亜美が良かったと微笑む。
「じゃあ二人はOKね。レイちゃんは?」
「わ、私?私は…」
三人の視線を一身に受けレイはうろたえた。
「まさか行かないとは言わないわよね?あ、それとも怖い?」
机に肘を突いて、美奈子は挑戦的な笑みを浮かべた。
その上流し目な視線が余計にレイのプライドを刺激する。
「そ、そんな訳ないじゃない!私を誰だと思ってんのよ!良いわよ!その挑戦受けて立とうじゃない!」
「…いや…挑戦って…ダブルデートなんじゃ…?」
「ま、まあ…色々な言い方があるわよ…」
小声で突っ込むまことに亜美は冷や汗を浮かべて答えた。
「じゃ決定ね。明日、恐怖の集会場の前に…そうね十時に集合でどうかしら?」
「いいわよ!美奈子ちゃんこそ逃げるんじゃないわよ!?」
「あら。私が言い出したのよ?逃げる訳ないじゃない」
「っ…!」
睨んでくるレイを美奈子がウインクで軽くかわし、ふふと口元に笑みを浮かべる。
「明日が楽しみねー。今日は早く帰って準備しなきゃ」
「そ、そうね!私も準備しなきゃ!じ、じゃね、まこちゃん、亜美ちゃん!」
「へっ?あ…うん、バイ…」
「ええ…また明日…レイちゃん」
勢いにつられて挨拶をしたまことと亜美はビルでも踏み倒しそうな歩き方で出て行くレイを呆然と見送った。
レイの姿が完全に見えなくなってから一段落とまことがジュースを口に含む。
「美奈子ちゃん、何もあんなにレイちゃんを煽らなくても良かったんじゃないか?」
「そうよね。別にダブル、デート…するだけなら普通にすれば…」
デートという単語に躊躇って亜美もまたグラスに手を掛けた。
「…ううん。普通に誘ったらきっとレイちゃんここには行かないもの」
パンフをとんとんと指で叩きながら美奈子がぽつりと呟く。
「行かないって…何で?レイちゃん別に霊とか怖くないだろ」
「それがね。レイちゃん本物の幽霊は怖くないけどこういう作り物は大の苦手なのよ」
不思議よねーと笑う美奈子はどう見ても楽しんでいる様にしか見えない。
「そうなの?」
「ほら、こういうのって人を脅かしたり、怖がらしたりする為に作ってあるでしょ」
「まあね」
「本物の幽霊はそういう事しないから平気らしいんだけど。こういうのは苦手らしいのよ」
「へえー」
「意外って言ったら…レイちゃんに悪い気がするけど…やっぱり意外だわ」
口元に手を当てた亜美とストローを咥えたまことが素直に驚く。
「じゃあさ、別に恐怖の集会場以外の所にすれば良かったんじゃないか?」
「ちっちっ、ちっ!甘いわねまこちゃん!」
「な、何が?」
当然の事を口にしたまことを美奈子は人差し指を振って否定した。
「今回のダブルデートには目的があるのよ」
「目的?」
瞳を輝かせる美奈子にまことと亜美は嫌な予感がした。
「今回の目的は…」
「目的は?」
「レイちゃんの怖がる姿、もしくは泣き顔を見る事にあるのよ!」
「……」
拳を握って力説する美奈子のバックに荒波を見たまことと亜美は目を点にして言葉を失った。
「何時も余裕のあるレイちゃんの怖がってる姿!見てみたいと思わない!?」
「え…いや…別に…」
間を挟むテーブルを物ともせず、ずいと顔を突っ込んでくる美奈子にまことが後づさる。
「それに…」
「そ、それに?」
まだ何かあるのかと警戒するまことから瞳を逸らし美奈子は寂しそうに呟いた。
「それに…たまにはデートらしいデートもしてみたいなって思ったのよ」
「美奈子ちゃん?」
自分の席に戻った美奈子は頬杖をついて窓の外に視線を移す。
「美奈子ちゃん、レイちゃんと…その…デートっていうか…出かけたりしないの?」
「別にそういう訳じゃないわ。二人で良く買い物に行くし、レイちゃん家にだって遊びに行くわよ」
テーブルに手を突いて猫の様に伸びながら美奈子は亜美に答えた。
「でもね…ただ遊びに行くだけ」
ほっと美奈子が息をつく。
「全然デートとかそんな感じじゃないの。友達と出かけるのと変わらないわ」
「そう…なの…」
「ま、レイちゃん私の気持ち知らないから仕方ないと言えばそれまでなんだけどねー」
瞳を閉じて美奈子は溜め息をついた。
「告白は…しないのかい?」
「するつもりよ…いつかはね。でも今はまだレイちゃんの気持ちが何も見えないから…。さすがの私も出来ないわ」
「そっか…」
寂しげな美奈子の眼差しがどれだけレイに本気か語っていてまことは気まずそうに視線を落とした。
「まこちゃんと亜美ちゃんは良いわよねー。見てて付き合ってるって感じがするんだもの」
「そ、そう?」
顔を見合わせたまことと亜美は顔を見合わせて直ぐに視線を逸らす。
まことのグラスがずずっと音を立てた。
そんな二人に美奈子がふっと笑みを零す。
「そういう所が羨ましいのよ」
「え、あ…別にこれは…」
「いいのいいの。解ってるから」
慌てる二人に手をお辞儀させた美奈子は先刻の寂しげな様子は嘘だったのかと思える勢いでまことの手を掴んだ。
「でも!今回は協力してちょうだい!」
「あ、ああ…はい」
勢いに乗せられて返事をしたまことをそのままに美奈子が耳元で囁く。
「だーいじょうぶよ。途中でわざとはぐれてあげるから」
「へ?…あ…」
告げられた内容にまことの顔がぽんと音を立てて赤く染まった。
「ね?」
「え…あ…うん」
いらないと言えば嘘になる気がして美奈子のウインクにまことが曖昧に頷く。
「そうと決まれば!私も家に帰って明日の計画を念入りに立てなくちゃっ!!絶対に明日はレイちゃんの怖がる姿を見るわよ!!二人とも明日は宜しくね!!!」
まことと亜美の手を交互に取り、約束とぶんぶん振り回すとその勢いのまま美奈子はクラウンを出てった。
後に残されたまことと亜美が暫く美奈子の軌跡を見つめていたがどちらかともなく溜め息を落として顔を合わせる。
「…やけに屈折した…愛情表現だな…」
「…私も見習おうかしら…」
「いっ?」
亜美のぽつりと零した一言に明日のダブルデートが無事に終わりますようにと、まことは思わず天に祈った。
「みんなー。おっはよー」
「おっ来た来た。はよー」
走ってくる美奈子にまことが手を上げて答える。
「おはよう美奈子ちゃん」
「ほんと、遊びに行く時は遅刻しないわねー」
感心するというよりは呆れた様にレイが腕の時計に目を向ける。
「ほほほ。当然じゃない」
レイの嫌味は露ほどにも感じてないのか、えっへんと美奈子は胸を張った。
「美奈子ちゃん…お勉強会の時もそれくらいの気持ちがあればきっと…」
「まあまあ、今日は勉強の話は無しにしようよ。折角遊びに来たんだからさ。ね?」
とくとくと説明しようとする亜美の肩をあ叩いてまことがやんわりと制する。
口元に手を当てて少し考えた亜美は素直にまことの意見を聞き入れた。
「それもそうね」
「じゃ、早速行きましょー」
「おー!」
チケット売り場で入場券を購入して、横の入場口へと向かう。
日曜日の為か、6つある入場口は全て開放されており、其々にモギリのスタッフが立っていた。
スタッフはみんな仮装しており、骸骨姿やフランケン、果ては南瓜を頭に被ってシーツを全身に身に纏ってるスタッフもいる。
「うわー。スタッフの人も凝ってるなー」
「…なんかハロウィンみたいね」
感心するまことは逆にレイは既に逃げ腰だ。
「さ、早く行きましょ」
「そうね」
美奈子を先頭に亜美とまこと、それからレイはチケットを片手に中へと足を進める。
入って数歩歩いた所で立ち止まった亜美はぐるりと辺りを見回して感嘆の声を上げた。
「話には聞いてたけど…凄いわね…」
パーク内のスタッフは勿論、建物も全て怪奇映画を思い出す黒と赤…と言うよりは黒と血を基調としたデザインになっている。
わざと建物の一部が壊してある場所は、中から人間の腕や足が飛び出てたりしている。
その中の一つを亜美が興味深々に眺める。
「これ良く出来てるわ。この看板の瞳…瞳孔まできちんと描かれているもの」
「あ、亜美ちゃん…」
感心する場所が、ずれてる気がして横にいたまことは頬を引き攣らせた。
「そ、それよりさ、どこから行くんだい?」
どうせそれも計画してあるんだろうと美奈子に聞くと、案の定直ぐに返事が返ってくる。
「そりゃ勿論ここからよ」
何時の間にか美奈子の手にはパーク内の案内パンフが握られており、その中の一つを指し示す。
「どれどれ…」
パンフを覗くとそこには正方形の中に不規則な直線が書かれた印が載っていた。
「迷路…かしら?」
「ピンポーン」
亜美の疑問に美奈子が即座に答える。
「ここが最も人気のアミューズメントなの。要するに巨大迷路とお化け屋敷を合体させた物なんだけどね」
「へー迷路かー。亜美ちゃん得意そうだね」
「どうかしら。迷路は紙面の上でしかやった事ないから…」
まことの期待に応えれるか解らないと亜美は控え目に首を振った。
「みんなどう?先に行きたい所ある?」
「んにゃ。別にあたしはここで良いよ」
「私も構わないわ」
「レイちゃんは?」
「…別にどこでもいいわ」
「レイちゃん…大丈夫かい?」
いまいち乗り気が見えないレイにまことが心配そうに聞く。
「え?勿論大丈夫に決まってるじゃない」
手の甲を口元に当ててほほほと笑うレイは強がりだと人目で解る。
「うーん…美奈子ちゃんには悪いけど…」
「そうね。いざとなったら私達が間に入りましょう」
二人で相談してるうちも、美奈子は元気に先へと進んでいく。
パーク内の最奥に位置する巨大迷路に向かう途中にはレストランや土産物屋も幾つか滞在していた。
硝子張りになっているレストランの中を何気なく覗くとやはり店員は仮装している。
また、手に持っているトレーやドリンクの食器を見れば、人の頭の形をしていたり、胃の形をしていた。
「…食欲落ちるなぁ」
「仕方無いわよ。こういう場所は雰囲気を重視するものなんだし…」
「まあ…ね。でも、家でご飯をあの器で出したらみんなびっくりするかな?」
「…私は遠慮するわ」
本気でやりそうなまことに亜美が辞退を申し出る。
「あ、ここみたいね」
巨大な建物の前で美奈子が立ち止まった。
「うわー…一際おどろおどろしてるなー…」
「ここの目玉と言われるだけあるわね…」
建物全体の真っ黒な壁に飛び散った血の様な模様が描かれ、入り口はカーテンの代わりなのか人間の手や目玉が幾つもぶら下がっている。
「ここが一番リアルに作られてるわねー」
「亜美ちゃん…本当に平気なのね…」
壁の一部にぶら下がっている頭蓋骨を興味深気に触っている亜美にレイは今更ながら凄さを感じた。
「ほらほら、亜美ちゃんもそんなのに触ってないで早く入りましょ」
美奈子やまことは既に入り口で待っている。
「レイちゃんも早くー」
「い、今行くわよ」
呼ばれたレイはギッと自分に気合を入れて亜美は楽し気に入り口の美奈子とまことの元へと急いだ。
『ようこそ…永遠の地獄へ…』
館内放送と共に、観音開きの扉が重々しく開く。
中は意外と広く、4人が横に並んでも空間が余る程だった。
「意外と広いんだな…」
「そりゃそうよ。広くなかったら巨大迷路なんて出来ないでしょ」
周りを見回すまことに美奈子が当然と言う。
「ま、そりゃそうだ」
頭をぽりと掻いてまことは頷いた。
「さ、進みましょ」
言って横にいるレイに美奈子はするりと細い腕を絡ませた。
レイの顔が一瞬にして赤くなる。
「ちょ…美奈子ちゃん何で腕を組むのよ!」
「あら?別に良いじゃない。怖いんだもん」
「一発で解る嘘つかないでよ!」
ブンブン腕を振り回すが美奈子はレイから離れようとしない。
それ所か更に体を寄せて耳元で囁いた。
「少しぐらいデート気分味わっても良いでしょ?レ・イ・ちゃん」
艶のある声で名前を囁かれレイの背筋がぞくりと震える。
「ね?駄目?」
「…腕組みだけよ」
視線で語られ、甘えられレイは顔を背けたまま腕の力を緩めた。
「サンキュー。レイちゃん」
「って…そんなに引っ張らないでよ」
レイに腕を絡めたまま美奈子は嬉しそうに先を急ぐ。
「はは…さすが美奈子ちゃん…。レイちゃん押し切っちゃった」
ゆっくりと歩いてたまことが美奈子の押しの強さに感服してると、服の袖を微かに引かれた。
「ん?」
見れば亜美が赤い顔をしてまことの肘の辺りの服を引っ張っている。
「何?亜美ちゃん」
「あ…その…何でもないの…ごめんなさい」
恥ずかしそうに俯いて亜美がまことから手を離す。
「亜美ちゃん?…あ、そっか」
何を言いたいのか気がついたまことは亜美の手を取って自分の腕に絡ませた。
「これでよしっと。さ、あたし達も行こ」
「…ええ」
緩やかにまことが微笑むと亜美が頬を染めて頷く。
嬉しそうな亜美の笑みにまことは来て良かったと胸の中でガッツポーズを取った。
「ぎゃあー!」
「いやー!」
4人の前から様々な悲鳴が聞こえてくる。
入って間もない4人には、まだどこからも手出しされてはおらず、それが余計に恐怖を煽った。
「そ、そろそろ何か出てきそうだな…」
頬を引き攣らせてまことがきょろきょろと辺りを見回す。
「そ、そうね…。やっぱ最初は上か横からかしら…」
声を震わせてレイは辺りを探った。
だが、実在の幽霊と違って妖気がある筈も無く場所が読めない。
ここまで来ると逆に何か出て来てくれた方が怖くない気がしてレイはこの静かな状況を恨んだ。
「あら、道が分かれてるわ」
足を止めた美奈子の眼前の道は今までの一直線とは異なり左右二股に分かれている。
とりあえず両方の道の先を覗いてみるが、どちらもほんの少し先に掛けられた柳の枝を思わせるカーテンが視界を遮っていた。
「どっちに行けば良いんだ?」
解らんとまことが頭を掻く。
「やっぱ、ここは一つ別行動を取りましょ!」
「別行動って…きゃっ!」
言うが早いが美奈子はレイを引きずって右の道を選んだ。
「まこちゃん、亜美ちゃん出口を出た所で会いましょーねー」
投げキッスを二人に送って、元気に手を振る美奈子にまことと亜美がぎこちなく手を振って見送った。
引き摺られる様に連れられて行くレイの姿がやけに印象的で同情が否めない。
「大丈夫かしら…レイちゃん」
「うーん…。一番怖いのは美奈子ちゃんだったりして…」
「は、はは…そうかもしれないわね…」
腕組みをして呟いたまことの一言が最も的確な解答な気がして亜美はレイの無事を祈った。
「ばぁ!」
子供騙しの声をかけて、突如壁から狼男が現れた。
「あら、狼男」
「ぎゃーーー!!」
この程度なのかしらと冷静な美奈子の隣でけたたましい叫び声が上がる。
「いーーやーー!!」
更に声を上げてレイは美奈子に抱きついた。
おおっ!と美奈子がしたり顔で笑みを浮かべる。
「レイちゃん大丈夫だって。人間よ人間」
「解ってても嫌なのよ!」
「お、おい…姉ちゃん大丈夫か?」
これ程までに反応して貰えると思ってなかったのか、狼男が申し訳無さそうに毛皮を撫でる。
「あ、大丈夫ですよー」
左手でしっかりとレイを抱き寄せて美奈子は代わりに答えた。
「そ、そうか?まだ先は長いから頑張れよ」
「あ、はい。すいませーん」
次の客の為にスタンバイ位置に戻って行く狼男を明るく見送って美奈子はレイに視線を戻した。
「ほら。もういなくなったわよ」
「ほ、本当に?」
「ほんとよ。ほら見てみなさいよ」
恐る恐る顔を上げたレイが素早く周りを見回してほうっと安堵の息を漏らす。
そしてはたと状況に気づき、火が点いた様に美奈子から飛びのいた。
「あら、もう終わり?」
「こ、これはびっくりしただけよ!?別に怖くなんか…」
「解ってるわよ。そんな慌てなくて大丈夫だってば」
「っ…!」
真っ赤な顔で言い訳をするレイを美奈子ははいはいと流す。
子供の様にあやされてレイは黙り込んだ。
「ほら、早く出口に行かないとまこちゃん達に先を越されちゃうわよ」
言って美奈子がすいっと右手を差し出す。
「…何よその手?」
「手繋いでいきましょ?」
「じょ、冗談じゃないわよ!子供じゃあるまいし!!」
「いいじゃない別に。じゃあ先刻みたいに腕組んでく?」
「そ、それは…」
「じゃあ、はい」
絶対に遊ばれてると解っていても何もお返しが出来ないレイは嫌そうに美奈子の手を取ろうとした。
「ぎゃあっ!」
「えっ?」
突如、上からぼとぼとと落ちてきた物が首筋に当たり再び叫び声を上げて美奈子に抱きつく。
「ひっ!」
美奈子の首筋にも同様に冷たくぬるぬるした物当たり、短く声を上げる。
「な、何?」
さすがに体を強張らせて美奈子は辺りを見回した。
宙には何も無く視線を下に落とすと、ぷるぷると震える物が辺り一面に落ちている。
レイを支えたまま目を凝らした美奈子はなるほどとレイに正体を伝えた。
「もーいやーー!」
「レイちゃん大丈夫だって」
よしよしと背中を撫でながら耳元で優しく諭す。
「落ちてきたのは水風船よ」
「…水風船?」
「そっ。首筋に当たってびっくりしたけどただの水風船よ」
そうっと地面に目を向けると確かに幾つ物色とりどりの水風船が地面に散らばっている。
「ね?怖くないでしょ?」
「う…うん」
頷くもののレイの体ががたがたと震え美奈子から離れようとしない。
さすがの美奈子もレイが気の毒になり、これ以上は無理かなと思う。
「も…やだよ…」
震える声が聞こえ顔を覗いてみればレイの瞳に涙が溜まっていた。
「レイちゃん…」
可哀相と思いつつも可愛いとも思ってしまった美奈子がレイを抱きしめる。
「大丈夫だから。私がついてるでしょ?」
「…美奈子ちゃん」
「ね?」
顔を上げたレイの頭を美奈子はよしよしと撫でた。
「あの…」
知らない声が聞こえレイがびくっと体を震わす。
「スタッフの人よ」
レイの耳元で囁き美奈子は笑みを浮かべた。
「はい。何でしょう?」
全身を包帯でぐるぐる巻きにしたスタッフはその姿に反して丁寧な口調で美奈子に話しかける。
「お連れ様が限界に見えますが、宜しければそちらの非常口が出られますか?」
指し示された方を見ると人が走ってる姿が白く浮かび上がった蛍光板が見えた。
「レイちゃんどうする?」
聞かれるやいなやこくこくとレイが頷く。
やっぱりと頷いて美奈子はスタッフにぺこりと頭を下げた。
「どう?少しは落ち着いた?」
非常口を出て直ぐの所にあったベンチに腰を落ち着けて美奈子はレイの背中を擦った。
「え…ええ。何とか…」
予想以上だわ…。
俯いて落ち込むレイに美奈子の良心が痛む。
「…ごめんね。そんなに怖いなら言ってくれれば良かったのに…」
神妙な美奈子をレイがきっと睨む。
「美奈子ちゃんが焚きつけたんでしょ!?」
真実を間違い無く告げられ美奈子が誤魔化す様に笑う。
「あ、あはは…そういえばそうだったわね」
「そういえばじゃないわよ!」
飛び掛ってきそうなレイを美奈子はまあまあと押し戻した。
「でも…そんなに怖がるとは本当に思ってなかったのよ。…ごめんなさい」
素直に謝る美奈子にそれ以上怒れる訳もなくふうと息をついたレイがベンチに深く腰掛ける。
「…いいわよ、もう。受けた私も私だし…。それに…」
「それに?」
「美奈子ちゃんは…楽しかったんでしょ」
顔を上げた美奈子から顔を背けてレイは素っ気なく言った。
「え、うん。私は楽しかったわよ?でもレイちゃんは…」
あまりの素っ気なさに本気で怒っているのかと美奈子が不安になる。
「そうね。楽しくなかったわ」
「…やっぱり」
がっくりと美奈子は項垂れた。
「でも…好きな物一つ解ったし…。美奈子ちゃんが楽しかったならそれで良いわよ」
足を組んで、腕組みをして高飛車な言い方をする割にレイの顔は赤い。
「好きな物って…私の?」
「私が好きな訳ないでしょ!」
叫んで背を向けるレイに美奈子の鼓動が早くなる。
もしかしたら…という期待が胸に浮かび、美奈子はそのままレイに問いた。
「ねえ…それって…少しは私の事を気にかけてくれてる…って事よね?」
肩に手を置くとレイの緊張が美奈子に伝わってくる。
「し、知らないわよ!」
つつっと首筋を指で撫でればビクッとレイの体が反応を示した。
「…そう」
ふわりと後ろから抱きしめる。
「っ…」
レイの全身がぞくりと震えるが抵抗しようとはしない。
「…良いわ…。少しでもレイちゃんが私の事を気にしてくれてるなら…。それで十分だわ…今は、ね」
体を少し押して振り向かせれば、レイの顔は真っ赤に染まっている。
硬直しているレイにくすりと笑んで唇を啄ばめば赤い顔は更に茹で上がった。
「…好きよ」
「…美奈子ちゃん」
「いつか…いつか、気が向いたらで良いから…私の事見てね…」
控え目に求める美奈子は今までに見た事の無いほど艶めいていて息苦しさを覚えたレイが俯く。
切り取られた二人きりの空間で自分の鼓動だけが煩く響いてる。
何を言えば良いのか、何をすれば良いのか、真っ白な頭には何も浮かばずただ服を握り締めるのが精一杯だった。
「あ、そういえば」
ふと何かを思い出したのか、美奈子が何時もの口調で言った。
「まこちゃん達どうしたかしら?」
「あ…そういえば…」
言われてもう一つのカップルの存在をレイが久しぶりに思い出す。
「もう出口で待ってるかしら?」
「そうね。私達もそろそろ行きましょ」
頷いて立ち上がったレイは美奈子にすいっと右手を差し出した。
最初きょとんとした美奈子も瞳を伏せて微笑むと直ぐに左手を絡める。
温もりを確かめたレイは負けないわよと右手に力を込めて宣戦布告した。
「うー…」
迷路の横の木陰のベンチでまことは亜美の膝を枕に寝っ転がっていた。
額には水で塗らした亜美のハンカチが乗っている。
「まこちゃん気分はどう?」
「ん…。風を浴びたし大分良くなってきた…」
言う割には声に力が無い。
「もう…。お化け嫌いなら嫌いって言ってくれれば良いのに」
「いや…嫌いな訳じゃないよ。ただ…ちょっと苦手なだけで…」
「同じ事でしょ」
「はは…そうかも…」
「もう、びっくりしたわよ。突然抱きついてきたかと思えば死にそうな声で吐くって言うんですもの」
「…面目ない」
額にあったハンカチを目元までずらし、まことが顔を隠す。
「暗闇で抱きしめるから私…」
「ん?」
「な、何でもないわ」
驚きと期待が入り混じった事を亜美は首を振って胸に閉まった。
「ところで、医務室じゃなくて良かったの?折角スタッフの人が薦めてくれたのに外の方が良いって言うから出てきたけど…」
白い指がまことの髪をゆるりと撫でる。
「うん。こっちの方が風が当たって気持ち良いもん。それにさ…」
「それに?」
亜美の手を捕まえるとまことは手の平にキスを一つする。
「ま、まこちゃん!」
引っ込めようとする手を離さず、空いた手で目の上のハンカチを取ると悪戯っぽく舌を見せる。
「固い医務室の枕より亜美ちゃんの膝枕の方が全然気持ち良いもん」
ウインクを渡すと亜美の顔は赤くなり、それでもふわりと微笑んだ。
「…ばか」
「かもね。あっ美奈子ちゃんとレイちゃんだ」
肘を突いて上半身を少し起こすとまことは二人に手を上げてそのまま固まる。
「まこちゃん?」
視線の先を追った亜美がまこと同じ事に目を留め口元を手で覆う。
「あらー…手繋いでるよ」
レイと美奈子から見れば真昼間から膝枕してる二人程じゃないと突込みが入りそうなものだが自分の事を棚の最上部に上げたまことはしげしげと二人を眺めた。
「ダブルデート…成功なのかしら…?」
「…そうだね」
爽やかな風が吹く中、楽しそうなレイと美奈子を見て二人も嬉しそうに笑みを浮かべる。
美奈子とレイの仲はまだまだ始まったばかりで…まことと亜美が驚くべき戦況報告を聞くのは次の日のことだった。



