胸に聞こえる警鐘。
早鐘のように叩く鼓動は、切なく痛い。
奏でる音が共鳴を起こし、心が乾く。
芽生えた想いの中で新しい自分の胎動が聞こえる。
欲が増え、あざとさが目を覚ます。
それが愛しく思えるのは…。
「ねぇ亜美ちゃん、ここ解らないんだけど」
言って、まことはノートを前に押し出した。
英文を綴ってた手を止めて、亜美は前のめりにノートを覗く。
「どの問題かしら?」
「これなんだけど…」
仲睦まじい分子配列をまことのシャーペンが指す。
手と手を取り合い、新しい物質に生まれ変わる幾つかの分子。
単純なようでその実、全てを構築する目に見えない結合は、途中で手が離れていた。
「何でこれとこれが引っ付くのか解らなくてさ」
お手上げだとシャーペンのお尻でまことは頭を掻く。
「え、とね。これは…」
亜美の構えたシャーペンが手を繋ぐ手助けを始めた。
参考書よりも丁寧な解説と、それを補助するような読解が、すらすらとノートに並ぶ。
するする解かれる問題に、のほほんとまことの眉根が広がる。
「ここまでは解るかしら?」
「うん。今解った」
こくこく頷くまことにくすりと亜美は微笑む。
「じゃあ、続けるわね」
言って、その先を説明し始める亜美の声は、張りがあり一言一句聞き取りやすい。
それでいて歌を歌うような楽しさを感じる。
本当に勉強が好きなんだとまことは思う。
大分解れた難解の糸に余裕が生まれたのか、まことは問題から顔を上げた。
至近距離で亜美の睫が瞬く。
真剣な瞳を強調する睫は、羽ばたくように足並みを揃えている。
「それでこうなるの。理解出来たかしら?」
「うん。睫、長いね」
「え?」
褒められた睫がきょとんと上下した。
「あ、いや…睫、長いなーと思ってさ」
少し、しまったと思いつつもまことは続ける。
「あたしも長い方かなと思ってたけど、亜美ちゃんの方が全然長いし、綺麗だよね」
へらっと緩んだ笑顔に勉強とは全く関係無いべた褒めをされ、亜美の胸が逸る。
警鐘を鳴らす。
「それに声も澄んでて可愛いし…うん。何時までも聞いていたいな」
思った事をそのまま口にするまことに、亜美の顔がじょじょに亜美の顔が赤く染
まっていく。
俯いても視線を感じ、上目遣いで様子を伺えば、警鐘は早鐘になる。
「まこちゃん…」
すいと問題集をまことの前に亜美は押した。
「ん?」
「この問い…今の応用なの」
「え?…あ…」
見惚れて、流してしまった解説は、もう彼方に消えてしまっていて、まずいとまこ
との頬が引き攣る。
「直ぐ出来ると思うから」
「う、うん…」
嫌な予感がひしめくまことに、棒読みで亜美は言う。
「解いて貰えるかしら?」
「いっ!?」
予感が的中したまことは天を仰いだ。
白い天井に、聞いてませんでしたと言えても亜美には怖くてとても言えない。
「出来たら答え合わせするから…」
「う…は、はい…」
半泣き顔でシャーペンを取り、とりあえずまことは問題を音読した。
直ぐ様、悩む唸り声が上がる。
先に書かれた読解を助けに、問題例を照らし合わせるまことの首が傾ぐ。
「え、えと……あれ?」
難攻するまことは、如何にして手を繋がせるかしか頭に無い。
そぅっと亜美は顔を上げた。
顔が熱い。
火照った頬を隠すように掌で覆う。
指先が睫に触れた。
まことの囁きが耳で木霊し、払うように亜美は首を横に振る。
逸る胸元を押さえ一度息を吐き、心を落ち着かせる。
テーブルを介した正面では形の良い眉根が困惑に顰まっていた。
瞬きを繰り返す睫は長い。
苦しむ唸り声も、普段は優しく穏やかな響きを保つ。
シャーペンを放り出すのを堪えている指は細く、綺麗だと亜美は思う。
ノートに噛り付くまことに、亜美のシャーペンが自然と動き出す。
kindly.(優しい)
honest.(正直)
attractive.(格好良い)
浮かんだ言葉をそのまま連ね、亜美は考える。
他の表現は無いだろうか。
もっと単語を連ねられないだろうか。
まだまだ数の少ない情報が寂しくも楽しい。
何所まで知り得るか。
ノート一杯に書き出せるようになれるか。
先の長い勉強にくすりと亜美は微笑む。
膨らんだ期待に喜びを感じる。
鳴る警鐘は警告。
新しい自分との出会いを示す鍵。
その鍵を手にした亜美はまだ扉を開けたばかりだった。



