エスカレーターの陰で待ち伏せする美奈子とレイの予想通り、程無くしてまことと亜美はやってきた。
亜美のトートバッグが先刻よりも膨らんでいる。
恐らく購入した参考書が入っているのだろう。
布製のバッグの真ん中辺りに角が出来ていた。
エスカレーターで下る、まことと亜美を見届けて、美奈子とレイもエスカレーターに乗る。
当初の目的は本屋だったのか、一つ階下に降りたまことと亜美はゆっくりした足取りでウィンドウショッピングに繰り出す。
エスカレーターの正面にはカジュアル服の専門店。
5段組の棚にはTシャツやカッターシャツが綺麗に畳まれ頓挫している。
その中の一枚を広げまことは胸に合わせた。
感想を聞かれたのか亜美が、はにかむ。
「なーんか、つまらないわねー…」
エスカレーターの横。
壁に貼られたセール案内のポスターをしっかり横目で確認する美奈子の顔は膨れている。
「そんなの最初から解り切ってる事でしょ。出歯亀って言うのはつまらないものよ」
「違うわよ。出歯亀がつまらない訳じゃないの」
じゃあ出歯亀は楽しいのか問いたいレイだが、現状が答えだと思い直す。
「…変化が無いのよ」
「変化?」
「もう少し何か、こう…面白い進展は無いものかしらね」
人差し指を頬に添えて眉を寄せる美奈子に、呆れた瞳が問う。
「…何を期待してる訳?」
冷ややかな視線に美奈子は拳を縦に重ねた。
「一発逆転ホームラン」
言って、思いっきり空のバットを振り切る。
「まこちゃんに期待してるの?それとも亜美ちゃん?」
美奈子が固まった。
振り切った腕からカランと空のバッドが落ちる。
「ま、まこちゃん…かな…?」
「外れ」
言い切ったレイはまことと亜美を見た。
「正解はどちらも無理」
9回を迎えるまでも無くノーゲームが目に見えた勝負にレイは乗る気が無い。
くるりと背を向ける。
「帰りましょ。これ以上後を付いていっても何も変化無いわよ」
完全に結論付け、帰ろうとするレイの肩を美奈子は掴んだ。
「何よ?」
「勝負は9回裏まで解らないわ…」
試合観戦を最後まで望む背中は無駄に執念が燃えている。
ほっとレイは息をついた。
「…解ったわよ」
踵を返してレイは丁度、店を後にしようとするまことと亜美に振り返った。
再びエスカレーターを下るまことと亜美は、地上を目指しながらウインドウショッピングを重ねる。
それを、追尾する美奈子の手にも何故か紙袋が重なっていた。
「何で美奈子ちゃんまで買い物してるのよ」
「ついでよついで」
ぱたぱた手を振る度にかさかさ音が立つ。
「どんなついでよ」
一階まで亜美と戻ったまことは、出入り口側の店に入った。
アジアン雑貨のお店。
店頭に並ぶ東南植物や細く小さい竹を見つめるワンコのような瞳に亜美は優しく微笑む。
「あそこ寄るみたいね」
オペラグラスを通してまことと亜美を美奈子は見守る。
「みたいね。って、それどっから出したのよ」
「尾行には必需品でしょ?用意しておいたのよ。あ、レイちゃんの分もあるわよ」
はいとレイに赤いデザインのオペラグラスを美奈子は差し出す。
「あんたね…」
「いらないの?」
「………」
少々躊躇いつつもレイはオペラグラスを受け取った。
カパと口を開けレンズを押し出し目に当てる。
遠目だったまことと亜美が目の前に見えた。
掌サイズのサボテンの棘を突付くまことの隣で、丸い硝子の器から伸びる背の低い竹を亜美は見ている。
「亜美ちゃん、わざわざ竹を買うのかしら?」
不思議そうなレイに美奈子は答える。
「ああいうのはバンブーって言うのよ。幸せになれるとか何とかって言うわよ」
「そうなの?竹なら神社の裏に沢山生えてるわよ」
カクンと美奈子のオペラグラスがこけた。
「レイちゃん…多分それ…ちょっと違うと思うわ…」
神社の境内よりも高く太々とした竹。
それを部屋の何処に飾れと…。
幸せになれるというより厄除けになるの間違いではと美奈子は思う。
「あ、今度はまこちゃんマグカップを見てるわね」
真っ白なマグカップに何かのロゴが入ったマグカップをまことは手に取っている。
精度の低いオペラグラスでは何のロゴまでか読み取れないが、英語だと言う事だけは美奈子は理解出来た。
「亜美ちゃんはポーチ見てるわよ」
丸く薄い水泡のような柄のポーチを楽し気に眺めている。
同じ店内で美奈子が監視するまこととレイが見守る亜美の間は少し距離が開いていた。
「まこちゃん今度は…あれは入浴剤かしら?」
小さな白い包みに書かれた『~~の湯』という文字を必死に読む美奈子と赤いオペラグラスが焦点を合わせる。
「そうみたいね。他にも幾つか選んでるみたいだけど」
白色の包みの他にも新緑の包みや、薄紅色の包み等を丁寧にまことは選出している。
軽く鼻に当てて香りの確かめは忘れない。
ちらりと亜美をまことは見た。
視線に気づかない亜美に、くすりと笑んでまことはまた選ぶ。
「二つづつ買う方にジュース一本」
「それ賭けにならないから却下」
突然賭けに興じる美奈子の誘いに見向きもしないでレイは断った。
亜美の視線を気にしつつ、素知らぬ顔でまことはレジに向かう。
バーコードを通し、紙袋に入れようとする店員にVサインをまことは見せる。
頷いた店員が紙袋をもう一枚用意した。
「ほら。やっぱり賭けにならないわ」
言って、レイはオペラグラスを閉じた。
「うーん。先が読みやすいのも考えものね」
儲け損ねたと残念そうに美奈子が指を鳴らす。
買った入浴剤を折れないように後ろポケットにまことは入れた。
亜美の元へ歩み、耳打ちするように囁いて店を後にする。
駅構内から表参道へと抜け、商店街の方向へ進む。
「このまま帰る気かしら?」
「そうじゃない?もう夕方になるし」
日曜日らしくショッピングモールを堪能したまことと亜美の足取りは軽い。
まことは亜美を見下ろし、亜美はまことを仰ぎ、話を弾ませる。
会話を途切れさす事も無く、待ち合わせしていた公園へ二人は戻って来た。
黄昏時の公園にはまばらにしか人がいない。
中央グラウンド近くのベンチに亜美は腰掛け、横の自販機でジュースを購入しているまことを待つ。
1本づつジュースを取り出すまことが2度、屈む。
「何時でも2つなのね」
「まこちゃんだからね」
細やかな気配りを怠らない性分にレイと美奈子は頷く。
「ポイント高い性格してるわー」
「見習ったら?」
一言多い口元を無言の瞳が見つめる。
亜美に缶を1本渡し、まことは隣に座った。
長い足を組み、ベンチの背に左腕を預ける。
プルタブを開け、まことは青いスポーツドリンク缶に口をつけた。
習うように亜美が緑のお茶缶のプルタブを上げる。
夕暮れの日を浴びるまことと亜美はさながら縁側に佇んでいるようで、美奈子がぼやく。
「…若さが無いわね…」
しかも、今日のプレゼントとしてまことが用意したのは入浴剤だ。
盛り上がらないシチュエーションにぷんと唇が尖る。
「良いじゃない。のんびりしてて」
包みを両手で受け取り、開けた亜美は嬉しそうに香りを確かめた。
のんびりした、らしい風景にレイは微笑む。
「残念ね」
「何がよ?」
「逆転満塁ホームランが無いままゲームセットで」
思惑が外れた美奈子とは逆にゲームの結末にレイは満足そうに木の幹に持たれかかった。
「むぅ…折角一日費やしたのに…」
大切な休日を返してと呟く美奈子にレイは言う。
「それ私の台詞よ」
ストッパーの呟きに美奈子は、へらりと口元を緩めた。
「レイちゃんは良いじゃない。私とデートだったと思えば」
「監視同行」
間髪入れずにレイは言い直す。
「相変わらずつれないわね」
微笑む口元は言うほど残念そうには見えない。
「お」
凭れていた木から美奈子が体を起こした。
どうしたのかと思いレイが視線を追うと、亜美の髪をまことは梳いている。
髪にキスするように鼻を擦り寄せ、囁くように唇が耳元に近づく。
意外な行動に、ぐぐっと美奈子の気合が高まる。
「逆転さよなら満塁ホームラン!」
美奈子の叫びに若返ったまことは亜美を抱きしめた。
「まこちゃんにあんな甲斐性あったの…?」
さらっと酷い事を言って目を疑うレイの隣で高々とガッツポーズが勝ち誇る。
その勢いのまま、美奈子は草むらを掻き分け突き進む。
「え?ちょ、ちょっと!」
ストッパーが呆気に取られているうちに美奈子はまことの前に立ち止まった。
「あれ?美奈子ちゃん?」
きょとんとするまことに満面の笑みで美奈子は詰め寄る。
「ちょっとまこちゃん何時から自覚があったのよ!そうならそうと早く言いなさいよねー。しかもこんな所で抱きしめるなんて…もう、大胆なんだから」
背中をばんばん叩いて捲くし立てる美奈子にまことは顔を顰めた。
「いて、痛いってば!何だよ急に…」
紅葉が張り付いた背中をまことは後ろ手で擦る。
「それに自覚って何の話だよ?」
思い描いた言動と一致しないしかめっ面に囃す笑顔の頬が引き攣った。
「…え?」
「まこちゃん、何で亜美ちゃんを抱きしめてたの?」
遅れて来たレイは美奈子の疑問を口にした。
「へ?あぁ…急にごめんね。亜美ちゃん」
思い出したように笑って頭を掻くまことに、両腕を胸の前で揃えた亜美が無言で首を横に振る。
その顔は赤い。
「そうよ…」
ゆらりと美奈子の憤りが燃えた。
「まさか自覚も無しに亜美ちゃんを抱きしめたんじゃないでしょうね!?」
胸倉を掴んでがんがん揺らす美奈子にまことの首がごんごん上下に振られる。
「答えなさいよ!!」
美奈子の両手首を掴んでまことは力づくで止めた。
眩暈がする頭でげほんと咳を一つ落とす。
「な、何かよく解んないけど…とりあえず落ち着いてくれよ」
「じゃあ落ち着いてあげるから理由を言いなさいよ!?」
理由を聞いているのか、喧嘩を売ってるのか。
それとも単に今日一日の鬱憤を晴らしているのか。
とにかく躍起になっている美奈子の手首を掴んだまま、まことは言う。
「何でって言われても…亜美ちゃんが良い匂いしたから…としか言えないんだけど…」
入浴剤を渡した流れから風呂の話になり、風呂の話からシャンプーへと移った。
そこから石鹸の香りを経由して入浴剤の話へと戻った所で、亜美の香りに衝動的に抱きしめてしまったとまことは説明した。
「…な…」
ふるりと美奈子の拳が揺れる。
「何考えてんのよ!!」
「や、だからつい…なんだってば」
怒りに思わず繰り出されたパンチをまことは掌で受け止める。
「他には何も無いわけ!?他に!!」
ガードする掌をジリジリ押しながら美奈子は叫ぶ。
「他にって言われても…あ、そうだ」
ガードを片手から両手に代えてまことはへらりと笑う。
「亜美ちゃん柔らかくて抱き心地良かった」
拳が力無く崩れた。
「や、亜美ちゃん小さいしさ、前からすっぽり腕に嵌りそうだなーとは思ってたんだけど思ってた以上にぴったりでびっくりしちゃった」
ずるずる地面にへたり込み、美奈子が尻餅をつく。
「…そうじゃなくて…」
手で額を押さえ、頭痛に苛むレイはぽつりと呟いた。
「まこちゃん…それは、理由じゃなくて…感想…」
脱力感と、気怠るさで胸一杯。
やるせなさでお腹一杯。
美奈子とレイはそれ以上口を開く気にはなれない。
ただただ溜め息だけが零れる。
「どうしたんだい?二人とも」
ホームランを打たれたピッチャーのように地に両手を突いて伏せる美奈子と、ゲームセットの声を聞いて立ち尽くすキャッチャーのようなレイに身を屈めてまことは聞いた。
「あ、あのさ…。何だか良く解んないんだけど…。この後亜美ちゃんと夕食食べるんだけど一緒にどうかな?」
「遠慮しておくわ…」
右手を上げて美奈子は辞退する。
「私も…。用事、あるから」
取って付けた理由を上げてレイも遠慮した。
「あ、そう?」
残念そうな頬を掻くまことに、美奈子とレイは同時に首を縦に振る。
「んじゃ…行こっか亜美ちゃん」
「え、ええ…」
美奈子とレイを交互に見て、ゆっくり亜美は立ち上がった。
「またね。美奈子ちゃんレイちゃん」
元気に手を振るまことに、ゆるゆると地に膝を突いて美奈子は体を起こす。
「亜美ちゃん…口が金魚になってたわ…」
でたらめな衝動を受けた夕焼け色の顔を思い出してレイは空を仰ぐ。
「これ以上無いくらい、顔も真っ赤だったわよね…」
首を傾げると並んだ背中が丁度公園を後にしようとしていた。
「まこちゃん…一番、性質が悪いわ…」
遠目にも亜美の肩がぎこちなく上がっているのが解る。
突然の衝撃が抜けていないのだとレイは思う。
はぁと美奈子は溜め息をついた。
「あーもぅ!私とレイちゃんみたいにどうしてビシッとならないのよ!」
衝動の意味を介さないまことに美奈子は一人じたばた暴れる。
「何をどーやったらこんな亀の歩みが出来るのよっ!!」
逆転ホームラン所か、見事なまでの見逃し三振。
監督として納得の行かないゲームに美奈子は憤慨する。
「さて…ね。ところで聞きたいんだけど」
組んだ腕の肩を落としてレイは問う。
「私と美奈子ちゃんって何の事?」
暴れていた監督が両腕を上げたまま止まった。
ゆっくり首だけがレイに向く。
「え…だから私とレイちゃんみたいに…」
「だから何の事よ?」
それを聞いていると挑むような瞳が告げる。
ひくりと美奈子の頬が引き攣る。
「もうここにいても仕方無いわ。帰りましょ」
くるりと背を向け、まことと亜美とは正反対の入り口へレイは歩む。
颯爽とした後姿に、鬱蒼とした溜め息が続く。
「しまったわ…。私にはこっちの性質の方が問題だった…」
迫る夜空がレイの笑みを隠す。
一番星に深い溜め息を重ねる美奈子に、本当の意味で逆転さよならホームランを打ったレイの静かな鼻歌は聞こえなかった。



