クラウンの入り口に敷かれた赤い絨毯を踏むと自動的に扉が開いた。
冷房の冷たい風が密室から開放され、来訪者を歓迎する。
ただ、9月の移ろう季節には少々厳しく素肌を撫でる風に、制服から露出した左腕を亜美は擦った。
「亜美ちゃん」
名を呼ばれ、音源を探す亜美が店内を見回す。
ぐるりと一周した亜美の視線が、一番奥の席で手を上げる美奈子を留めた。
「美奈子ちゃん、レイちゃん」
足早で亜美は駆け寄る。
「遅れて御免なさい」
美奈子の隣でゆるりと笑んでレイはコーヒーカップを回す。
「大丈夫よ。私達も先刻来たばかりだから」
微笑みに笑みを返して、亜美はレイの前に腰掛けた。
学校指定の黒く重い鞄を空席の隣に置く亜美に美奈子は聞く。
「まこちゃんは?」
何時も隣にいる背の高い番犬の姿が今日は何処にも見当たらない。
「用事があるからって学校が終わったら直ぐに帰ったわ」
「そうなの?」
「ええ」
別行動はさして珍しくは無いが、何か引っ掛かる。
何が?とは言えないが不思議に感じる。
とは言え、亜美の様子から隠してる、もしくは行き先を知っているようには見えない。
気のせいと結論付けて美奈子は考えるのを止めた。
「ま、いいわ。とりあえず」
すっと脇に立て掛けてあるメニューを亜美に美奈子は」差し出す。
「亜美ちゃん何飲む?」
「そうね…」
さっとドリンクメニューに目を通し、喉よりも体に亜美は聞く。
反応した体が嗜好も考慮して一つのドリンクを指す。
「ミルクティにしようかしら」
冷え切った右腕を擦りながら暖かい飲み物を亜美は注文した。
程無くして、白いカップが湯気を空気に溶けさせて運ばれてくる。
火傷しないようそっと口に運ぶと、じんわり体が温まった。
掌にも伝わる熱さに、ほっと亜美は一息つく。
「亜美ちゃん11日って空いてる?」
落ち着いた頃を見計らって美奈子は亜美に問う。
「11日?確か空いてると思ったけど…」
視線を上げて、亜美は頭の中でスケジュールを確認する。
唇が日付を睦言のように呟く。
「11日…」
土曜日。
学校はお休みで、塾は先日の模擬テストの振り替え休日。
これという予定は記した覚えは無い。
「ええ。空いてるわ」
しっかり頷く亜美にパチッと美奈子の指が鳴った。
「そのまま空けといてね。亜美ちゃんの誕生日会するから」
準備は任せてと胸を張る美奈子に亜美がレイを見ると優しく頷かれる。
日付を気にしつつ、美奈子とレイは着々と準備を整えていた。
プレゼントを購入し、会場であるレイの部屋を飾り付ける。
当日驚かせるつもりだったが、如何せん忙しい亜美へのお祝いだ。
予定を聞くのはやはり必須項目と二人の意見が一致したのは昨日。
そんな肩に手を添えるような優しさを亜美は嬉しく思う。
「ありがとう美奈子ちゃん、レイちゃん」
改まった礼に美奈子とレイは顔を見合わせて微笑んだ。
「でもどうして11日なの?私は10日でも構わないわよ?」
元来の亜美の誕生日は10日の金曜日。
11日の土曜日は朝から夜まで興じれるというメリットはあるが、誕生日当日に次の日の朝まで過ごすのもまた一興。
あえて、日をずらして指定する美奈子とレイに亜美は首を傾げた。
「やーねー、そんな事出来る訳無いじゃない」
笑みというよりは含み笑いをする口元を手で押さえる美奈子の目尻がへらりと垂れる。
「え?」
どうして?と瞳で語る亜美にレイは美奈子の笑みを解釈した。
「まこちゃんと約束してるんでしょ?邪魔するような野暮は出来ないわ」
微かに揶揄を含むレイの瞳に亜美の目が瞬く。
「まこちゃんと約束?してないわよ」
今度は美奈子とレイが目を瞬かせる番だった。
顔を見合わせて互いの驚きを美奈子とレイは確認し合う。
「…冗談でしょ?」
「本当よ」
頭のスケジュールにも紙面のスケジュール帳にも二人が言うような約束は書かれていない。
二人の驚きに亜美は逆に驚いた。
信じられないレイの隣でテーブルの上に美奈子は身を乗り出した。
「ちょっと亜美ちゃん!誕生日にまこちゃんと約束してないの!?」
テーブルの端に両手を突いて身を乗り出す美奈子のアップを避けて亜美は頷く。
「どうしてよ!」
「ちょ、ちょっと美奈子ちゃん落ち着いて…」
声の大きい美奈子を両手で制しながら亜美は周囲を気にする。
だが、当の美奈子は周囲なんて全く省みない。
「これが落ち着いていられる訳無いでしょ!!」
叫んで、ぐっと拳を握る。
「まこちゃんと言えば亜美ちゃん。亜美ちゃんと言えばまこちゃん」
演歌を歌うように拳を震わす美奈子を亜美は止めれない。
「二人と言えば、万年新婚夫婦」
最後の台詞にぽんと亜美の頬が赤く染まる。
「その二人が誕生日の約束してないって一体どういう…」
「いい加減にしなさい」
力説する美奈子を見かねたのか、後頭部をレイはすぱんと叩き落した。
「亜美ちゃんが困ってるでしょ。それに他のお客さんの迷惑になってるわ」
周囲に目を配るレイに、やっと我に返った美奈子が視線を追う。
盗み見るような他人と目が合った。
微かに美奈子の頬が羞恥に染まる。
だが、最後はにっこり微笑んで事に終止符を打つその様は流石としか言いようが無い。
静かに座り直して、改めて亜美に美奈子は問う。
「何で約束してないのよ?」
内緒話レベルの小声に極端だと思いつつ、レイは耳を傾ける。
「どうしてって…理由は特に無いわよ」
言って、静かに亜美はミルクティを飲んだ。
「ただ、最近まこちゃん忙しそうだからそういう話をしてないだけで…」
仲違いしてる訳でも無く、避けているつもりも避けられている様子も無い。
会う時間が少ない。
本当にそれだけだった。
「まこちゃん忙しそうって、何かやってるの?」
レイの問いにふるりと首を振って亜美は答える。
「詳しくは聞いて無いけど、学校が終わると直ぐに帰るわ」
教室の違うまことは、帰りのホームルームが終わる時間が密接していると亜美の教室を訪れる。
顔を見て、さよならの挨拶を交わす。
その後は急ぎの用があるからと言ってまことは一人で走って帰ってしまう。
その挨拶も時間がずれてしまうと無い。
ごめんと手を上げて走り去る時もあった。
「じゃあ、今は一緒に帰る事もしてないの?」
嘘ぉーと顔に書く美奈子に亜美はこくんと頷く。
「嘘ぉー」
顔だけでなく、美奈子は声に出した。
「あのまこちゃんが亜美ちゃんをほったらかしなんて…。それ絶対におかしいわよ」
「そ、そうかしら?」
視線で亜美はレイに伺う。
「そうね。ちょっと不思議な感じがするわ」
静かな同意に驚きの余韻が微かに含まれている。
それほど不思議なのだろうかと、亜美はミルクティに視線を落とした。
カップに溶けた牛乳を探るように思い返してみる。
登下校は一緒。
ミーティングは共に参加。
帰りは並んで帰る。
今日のお茶でもまことの用事が無ければ共に訪れていただろう。
甘いミルクティがほんのり苦味を増す。
「でも、電話くらいはしてるんでしょう?」
フォローするように聞くレイにふるりと亜美は首を振った。
珍しく地雷を踏んだレイが頬を引き攣らせる。
「もしかしてまこちゃん…浮…」
止めを刺すような横やりをレイは片手で潰した。
「な訳ないでしょ!!」
頭を押され、テーブルに潰された美奈子が端を三回叩く。
「レ、レイちゃん…ロープロープ…」
「ったく…もう少し現実味のある理由を探しなさいよ」
十分現実味あると言いたいのを堪えて美奈子はもう一度テーブルの端を三回叩いた。
2度のギブアップ宣言に溜め息を吐いてレイは美奈子を放す。
「はーい…」
違った首の筋を回して美奈子が馴染ませる。
「でも、まこちゃん本当に何がそんなに忙しいのかしら?」
どちらかと言うと、のんびりの部類に入るまことの急ぎがレイには思いつかない。
「さぁ…私にはちょっと解らないけど…」
別段、気にする風体も無く、亜美は微笑んだ。
なのに笑みが寂しそうに感じられる。
「今日の夜にでも亜美ちゃんから電話してみたら?」
軽い提案にかちりと亜美のカップがソーサーにぶつかった。
「…そうね。少し考えてみるわ」
強情っぱりの笑顔にレイは密かに溜め息を零した。



