嘘-完結-

ほっこほこの綿の感触にふわふわの木々の香り。

 森の中にぽっかり浮かんだ草原に寝転がってるような心地良さ。

 自然に抱きしめられている気になる。

 力強い中のほんの少し臆病な優しさがくすぐったい。

 静かな寝息が木々の爽やかな空気の中にゆっくり溶けていく。

 眉がぴくりと動いた。

 穏やかな寝息が急速に急き立てられる。

 唇が戦慄く。

 震えながら助けを求める名を呼び、息を詰める。

 首が左右に揺れ何かを否定した。

 堪えられていた涙が頬を伝う。

 嗚咽が零れる。

 背筋が反り、大きく喘いだ胸に体が揺さぶられた。

「……ちゃん!」

 肩が捕まれ大きく振られる。

「――ちゃん!!」

 必死な声が鼓膜を突き、激しい振動が失われた意識を呼び覚ました。

「亜美ちゃんっ!!」

 呆然とした体が誰の事だろうと思う。

 ゆっくりと瞳が開く。

 薄い視界で影が動いている。

 象らなかった影はやがて人を形成した。

 零された安堵が頬を掠める。

「亜美ちゃん…大丈夫?」

「…ジュピター…」

 肩を掴む手が愕然とした。

 掴む手に力が込められ、痛みに亜美の意識が求めて止まない顔をはっきりさせる。

「…まこちゃん…」

 苦しい胸の内を辛い瞳で笑んで、まことは隠す。

「その…大丈夫?」

 切なさの滲んだ声は掠れている。

 それでも、夢に取り込まれた、か細い心には優しさを響かせていた。

 傍にいる安心感と消えてしまう不安感が渦を巻いて亜美に押し寄せる。

 変わらない確かな物を感じたいと渇いた心が喚く。

 誘われる。

 まことの唇が亜美の唇で塞がれた。

「亜、亜美ちゃん!?」

 慌てて肩を押し返すまことの腕を払って口付け、無理やり自分を亜美は捻じ込んだ。

「――っ…」



 絡まる滑った情にまことの頭がくらりと揺れる。

 意識が引き摺られ欲に囚われそうになる。

 そんな流されそうな想いの最後の一歩を踏み止まらせたのは頬に触れた冷たい雫。

 薄っすらとまことは瞳を開けた。

 離すまいと必死の亜美の表情は切なく痛い。

 泣きたくなる。

 何も考えられ無いくらい泣かせてみたくなる。

 強くまことは瞳を閉じた。

 亜美の腰に腕を回す。

 引き寄せて抱きしめる。

 息苦しいくらいに体を密着させ、まことは逆に亜美を絡め取った。

「んん…」

 喉を反らせて亜美が身を捩る。

 奥一杯まで自分を差し込んでまことは息さえも奪う。

 思考も体の自由もまことで埋め尽くされる。

 競り上がる熱に惑う亜美を構わずまことは強引に捻じ伏せた。

 ベッドへ押し倒す。

 唇を移動させまことは亜美の耳朶を強めに噛む。

 突き刺すような痛みが亜美に走る。

 癒すようにまことは舐める。

 悦楽が亜美の背を追い立てられた。

 首筋をぞろりと這う舌に亜美の体が痙攣するように跳ねる。

 鎖骨を噛み、胸の膨らみを覆う掌に熱が揺さぶられる。

 吐息が零れた。

 求める気持ちだけが加速する。

 思うままにせがむ亜美に容易くまことは応じる。

 熱い唇と激しい愛撫に亜美の呼吸は追いつかない。

 湿った空気が密度を増す。

 甘い声が部屋に充満した。

 顔が火照る気恥ずかしさも今の亜美には無い。

 逆に心地良く思える。

 すんなりまことを受け入れる。

 このまま夢の無い世界へ旅立ちたいと願う亜美が逸る。

「はぁ…亜美ちゃん…」

 亜美の両端に腕を突いてまことは上体を起こした。

 荒い息がベッドへ落ちる。

 額の汗を振るまことの首に亜美の両腕が絡まった。

 耳元に艶が落とされる。

「…やだ…止めないで…」

 心を偽わらせる呪縛の強さにまことがきりりと痛みを食い縛った。

 肩から腕へと流れる亜美の指に束縛の意味を持たせなかった言葉の重さを知る。 

 乱暴にまことは亜美に口付けた。

 痛みも濡れた声も、傷つける楔さえも忘れさせ、夢の無い世界へとまことは導く。

 優しさだけじゃ癒せない傷が甘い嗚咽に飲まれ、白濁の世界にほんの一時姿を消した。


「ん…痛…」

 体の芯の鈍い疼きに亜美はゆっくりと体を起こした。

 部屋の中はすっかり闇に包まれている。

 窓の外をぼんやり覗くと近くの家やマンションの窓が放つ眩しい光が見えた。

 夜なんだと亜美は思う。

 久しぶりの深い睡眠はここ数日付き纏っていた頭痛を遠ざけた。

 停止しがちだった思考が順調に稼動する。

 額を押さえて軽く頭を振ると、体の奥がずくんと痛む。

 誘う行為を亜美は思い出す。

 驚いた顔に無理やりキスをしてその先を求めた。

 全てを忘れたくて、心まで埋め尽くして欲しくて激しく体を揺さぶった。

 逃げ口上に大切な相手を利用した。

「馬鹿だわ…」

 口元に笑みを浮かべ、己の愚かな逃げ口上を亜美は嘲る。

 窓から差し込む遠い光を頼りに、白い肌の赤い痕を亜美は指で辿った。

 鬱血の痕は何時もよりも多く強い。

 責めているように痕は熱さを残している。

 夢は幻。

 前世は過去。

 同じ魂を持っていても同一人物では無い。

 そう解っていながら惑い、振り回された。

 挙句に巻き込んだ。

 罪悪感が亜美の胸を占める。

 隣では人の形に膨らんだ布団が規則正しく上下を繰り返していた。

 はみ出た肩を包むように長い髪が流れている。

 流れの隙間から見える背中は亜美よりも広く大きい。

 流れをそっと一房、亜美は摘まみ上げた。

 シャンプーの香りが仄かに鼻腔をくすぐる。

 軽く引っ張っても背中は微動だにしない。

 そうっと摘まんだ一房を亜美は流れに戻す。

 抵抗無く混じる髪の流れを掻き分けて亜美は布団を寒そうな肩までずり上げた。

 夜に晒された肌は冷たくも生きている。

 当たり前の事に安心してしまう自分が可笑しくて亜美は忍んで微笑む。

「当然よね…」

 起こさないように亜美は布団へ潜り込んだ。

 背中に額を預けて身を寄せる。

 暖かいのに寂しい。

 夢の記憶と同じ背中は見ているだけで辛く寂しいと思う。

 それでも、離れれない。

 瞳を閉じて温もりだけに亜美は集中する。

 苦痛の前の短い安らぎに亜美は意識を沈ませた。

 枕元に置かれた木々のゆらりとした匂いと石鹸の香りがほんの少し夢を遠のかせる。

 程無くして、持たれた背中に重みが増す。

 もそりと背中が動いた。

 後ろ手で亜美の手を探り腰に回させる。

 冷たくなった手を暖めるように手を重ね、背中は何も言わずに瞳を閉じた。



『それじゃあまた後でね』

 最後の言葉は優し過ぎた。

 もう会えないと知っている心がもしかしたらと期待してしまう笑顔。

 今でもその声は強く残っている。

 叶わぬ夢を抱いた胸で言葉は響き、刃と化す。

 忍の字の如く、刃が心に突き刺さる。

 一息で止めを刺さない心の刃は聞いた覚えの無い悲鳴を聞かせた。

 広い背中が切り裂かれ笑顔が遠ざかる。

 掠れて霧散する。

「いやっ!!」

 自分の悲鳴に亜美は我に返った。

 心臓が爆発しそうに早い。

 息切れする喉の奥でひゅうと風が鳴る。

 渇いた唇が夢と呟く。

 何度見ても慣れない悪夢。

 ナイトメアの悪戯は回を重ねる毎に手が込んでいく。

 無意識に手が隣へと伸びる。

 冷たいシーツの波に亜美は慄いた。

「…いない…」

 独りじゃないと信じていた体に震えが走る。

 部屋を見渡しても求める姿の影も形も無い。

 夢と現の境に惑い、涙が溢れる。

 鼓膜に響く時を刻む音が酷く怖い。

 亜美は身を竦ませた。

「まこ…」

 部屋のノブが回った。

 体を震わした亜美が扉へと振り返る。

「あ、起きた?」

「…まこちゃん…」

 涙混じりの声に辛そうに細まった瞳がふわりと微笑む。

「おはよ」

 言って、まことはベッドに寄った。

 身を屈めたまことの唇が亜美の唇に軽い音を立てさせる。

「唇乾いてるね。ずっと寝てたから喉渇いただろ?何か持ってくるよ」

 もう一度唇を合わせてまことは待っててと片手を上げる。

 向けられた背にざらりと亜美の中で砂が流れた。

 時間が逆戻りを始め夢と現が混ざり合う。

 視界が屈折を起こす。

 離れていく背中が二重にダブる。

「やっ!」

 亜美の手がまことの左手首を掴んだ。

 震える指が泣きじゃくる。

 まことは振り返らない。

「いかないで…」

 悲しい声が絞り出され、そっと亜美の手にまことは右手を重ねた。

「…一緒にいるよ。この後…どうなるか解らないけど…傍にずっといる」

 ゆっくりとまことが振り向く。

 亜美の頬を両手で包み親指の腹で目元の涙を拭う。

 視線を絡めふわりと微笑む。

「命が尽きる最期の一瞬まで一緒にいよう…マーキュリー」

 ぴくんと亜美の瞳が揺れた。

「ま…ジュピター…」

 過去の名にまことの瞳が細まる。

「…って本当はジュピターは言いたかったんだ。あの時ね」

 こつりと亜美の額にまことは額を合わせた。

「だけど言えなかった。プリンセスを守る使命が、王国を守らなきゃいけなかったから」

 まことが苦笑を零す。

「でもそれはマーキュリーも同じだった。だから何も言わずにジュピターの嘘に合わせた。そうだろ?」

 こくりと亜美は頷く。

「ごめんね」

 囁くようにまことは謝った。

「縛るつもりじゃなかった。あの時はそう言うしかなかったんだ」

 凱旋の無い戦場への恐怖は無かった。

 命の覚悟など守護神を拝命された時に決めていた。

 そのジュピターに足踏みさせた後悔はただ一つ。

 最愛の存在。

 同じ守護神の一人だった。

 最期を共に在れない唯一無二の相手の最期をジュピターは見届けれない。

 とはいえ、使命を投げ出すつもりは毛頭無かった。

 だから一縷の希望を嘘に託した。

「自分に負けない為に…。生き残るつもりで戦う為に…さ」

「解ってるわ…」

「…そうだね…」

 頷いてまことは体を起こした。

 枕元に置いた二つのプランターを引き寄せる。

「ね。この子達同じ植物だと思う?」

 明るい声で話を切り替えるまことを惑いながら亜美は見つめた。

 手元の二つのプランターを見る。

 プランター一杯に葉を繁らした二つの植物は同じ香りを亜美に匂わせる。

 爽やかな匂い。

 眠りの中で嗅いだ匂いはこの子達なんだと亜美は思う。

 亜美にささやかな贈り物をした子供達は葉の色も形も変わらない。

 しいて言うなら右の子の方が大きな葉と太く強そうな茎を伸ばしている。

「同じ種類じゃないの?」

 思い描いた答えにくすりとまことは微笑む。

「正解。でもそういう意味で同じ子か聞いたんじゃないんだ」

 大きく育った子の葉を一枚千切ってまことは口に放り込んだ。

 ほろ苦い味の後にスゥと口の中で風が吹く。

「この子達は根が一緒なんだよ」

「根が一緒?」

 首を傾げて問う亜美にまことは頷いた。

「育ったからさ。これより一回り小さいプランターから移動させたんだけど、その時、二つに株分けしたんだ」

 撫でて慈しむまことの大切な子供達を亜美はもう一度見つめる。

 大きさの異なる二人の子供が元は一人だったとはどうしても思えない。

「大きさの違いは日当たりの違い」

 疑問が顔に出ていたのかまことは説明を付け足した。

 プランターを元の位置に戻す。

 大きな子は窓辺に近い場所に、小さい子は日向よりも少々遠い定位置にまことは置く。

 カーテンの影に覆われた小さい子から日当たりが悪いと文句が聞こえた気が亜美はした。

「今は気づいた時に入れ替えるようにしてるんだけど。なかなかね」

 成長の遅い子にごめんとまことは言う。

「同じ根を持ってたとは思えないだろ?」

 躊躇いがちに亜美は頷いた。

「あたしもこの子達と同じだよ」

 さらりと小さな葉をまことは撫でる。

 優しいのに何処か寂しそうな瞳。

 亜美に遠い世界を思い出させる。

「あたしはジュピターのように強く無いし、大きな心も持ってない」

 深い緑の大きな葉が揺れる。

「ついでにあそこまでHじゃない」

 ぺろっと舌を見せておどけるまことに否定の言葉を亜美は飲み込んだ。

「それに…嘘つきじゃないよ」

 不意打ちの真剣な声にとくんと亜美の胸が鳴る。

「言った事は何があっても…どんな状況でも守るよ」

「まこちゃん…」

「必要だった嘘でも…嘘は嘘だ」

 同じ根を持つ二つの植物。

 異なった環境で育った植物は大きさも見た目も変える。

 一見、大きい子の方が強く感じる。

 何があっても枯れないように思える。

 それでも、どちらが強いとは一言では語れない。

 何かの拍子に小さい子の方が大きく育つ可能性もある。

 むしろ、無限の可能性は小さい子の方が持っているのかもしれない。

 静かに力強くまことが言の葉を紡ぐ。

「あたしはどこにも行かない。必ず亜美ちゃんの元に帰って来る」



 強い光を宿した瞳は夢の中よりも激しく瞬いていた。

 抱きしめてくるまことに亜美の鼻の奥がつんと痛くなる。

 同じ魂を持ち、同じ台詞を囁きながら違う響きを持たせるまこと。

 心に住んでいるのはこの人なんだと亜美の心が感じる。

 あの時同様、護り人である以上、この声もまた嘘になる可能性は多分に含んでいる。

 特に無茶をする真っ直ぐな眼差しは過去の頃から全く変わらず、心配ばかりかける。

 それでも、感じる温もりは夢よりも暖かい。

 囁く声のトーンも香る匂いも心の記憶よりも優しい。

 違うと亜美は思う。

 まことの背に亜美は腕を回した。

 肩口に額を預けてぽつりと呟く。

「…違うのね…」

 まことが腕に力を込めた。

「…うん。忘れて…とは言えないけど…囚われないで良いんだ」

 亜美の髪に手を差し入れ、耳元にまことは唇を寄せた。

 亜美がそっと瞳を伏せる。

 頬に、目蓋にと甘いキスが移動する。

 そっと亜美は顔を上げた。

 唇が重なる。

 柔らかい唇が渇いた唇を潤す。

「喉、渇いてない?」

 ぺろりと自分の唇を舐めるまことに恥ずかしそうに亜美は言う。

「…渇いてる」

「冷たい飲み物を持ってくるよ。だから亜美ちゃんはその間にさ」

 楽しそうに笑ってまことは耳元に悪戯を落とした。

「何か着といて。あたしの理性が飛ぶ前にね」

 ぽんと亜美の顔が真っ赤に染まる。

「まこちゃん!!」

 慌てて布団をかき集める亜美にくすくすとまことは笑う。

 そんなまことに亜美は痛恨の一撃を加えた。

「もう…ジュピターよりHなんだから…」

 揶揄った笑いが引き攣り、そのまま固まる。

「や…それはちょっと…」

 降参と両手を肩までまことは上げた。

 大仰なまことの落ち込みに今度は亜美が笑い出す。

 その声に安堵した笑みをまことは返した。

「じゃ飲み物取ってくるから。…また後でね」

 心の刃が崩れ落ちる。

 さらさらの水の中に溶け、流れに沿って深く潜る。

 水底に留まる砂は消える事は無い。

 ただ、眠りについて思い出となる。

「…待ってるわ」

 信じてると音の無い声にまことはくるりと背を向けた。

 ぱたりと扉が閉まる。

 静かな部屋の時の音が怖くない。

 枕元の二つのプランターの場所を亜美はそうっと交換する。

 日差しを喜ぶように小さな葉が揺れた。

 ウインクを一つ残して消えた背中は夢のそれよりも大きい気が亜美はした。 
  

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