「絶対に左だよ!」
言って、左腕で半円を描き、まことは一人の人物を指した。
「何言ってるのよ!右よっ!」
言う美奈子の右腕が、空を切るように一人の男性を示す。
往来のど真ん中。
行き交う人々の好奇の視線を物ともせずに、睨み合う並んだ二本の腕の先には
見知らぬ男性が二人、並んで歩いている。
「左!」
「右よっ!!」
譲る気の無い両者の単語だけが間を飛び交う。
そんな二人から数メートル離れた場所で、困ったような苦笑を零す亜美と、組んだ腕を指でとんとん叩くレイが傍観していた。
業を煮やしたまことが地団太を踏んだ。
「あーーもう!何でそんなに頑固なんだよ!」
「頑固なのはまこちゃんでしょ!私は本当の事を言ってるだけよ」
ふんと鼻を鳴らして美奈子は背を向ける。
それが余計に苛立ちをまことに募らせた。
「絶対に左の方が格好良かったってば!」
「いーえ!右の方がスマートで素敵だったわ!!」
十人十色の美的感覚。
決着が着く訳の無い不毛な戦いにまことは民主主義に問う。
「じゃあ他の人の意見を聞こうよ。そうすればどっちが正しいか解るだろ」
「望むところよ」
勝ったも同然と美奈子はせせら笑う。
美奈子とまことは同時に亜美を見た。
「え?」
四つの眼に見つめられ、挙動不審に亜美は二人を見比べる。
「亜美ちゃんどっちが格好良かったと思う?」
「当然右よね?」
鬼気迫るまことと余裕たっぷりの美奈子に詰め寄られ亜美はそそと半歩後ずさった。
「え、えと…。擦れ違っただけだし…顔…良く見て無かったわ…」
ごめんなさいと言葉を濁して亜美は逃げる。
「そっか…」
「じゃあしょうがないわね」
然程恋愛に積極的でない亜美の性格を熟知している美奈子とまことはあっさり引き下がった。
そして、次に標的を移す。
「じゃあレイちゃんはどっちが格好良かったと思う?」
「右よね右!」
覗き込むように顔を近づけるまことと強要に近い声で叫ぶ美奈子の挑戦に憮然とレイは告げた。
「30点」
意外な答えにぽかんと美奈子とまことがレイを見つめる。
「へ?」
「30点?」
解らないと顔に書く二人に、腕を組み直してレイは言う。
「どっちもどっちって事よ。さ、行きましょう亜美ちゃん」
亜美の手を取って悠然とレイは二人の前を横切った。
レイの動きに合わせてまことと美奈子の首が左から右へと動く。
「ちょ、ちょっと待ったレイちゃん」
我に返ったまことは慌ててレイを呼び止めた。
肩を掴むまことにゆっくりレイは振り返る。
「何よ。文句でもあるの?」
ガンと見据える瞳。
自分よりも身長が低いレイに見下ろされ、まことの両手が降参した。
「…無いです…」
ホールドアップした苦笑いが角張った動作で首を横に振る。
「そ。無駄な時間食っちゃったわね。早く行きましょ」
言って、先を行くレイにまことは勿論、美奈子も見送る事しか出来なかった。
サァと川のせせらぎのような音が、街路樹を濡らす。
ここ数日続いた星の雨も今日は本当の雨に出番を明け渡していた。
「ちぇ。今日は星見えないな」
緑の傘をくるくる回し、まことは空を見上げる。
落ちてくる水の束に気が滅入る。
足元を照らす街灯に言われ水溜りをまことは避けた。
くるりと傘を回すと水滴が飛び、光を乱反射させる。
水の雨が一瞬、光の雨へと変わり、少し楽しくまことは思う。
「…こういうのも良いかな…」
はしゃぐ子供のようにくるくる傘を回し、まことは笑った。
帰路に着いていた足の向きを90度変える。
「寄り道してこっと」
軽い足取りで最寄の公園へ向かう。
公園の名が刻まれた標木を見ながら足を踏み入れる。
中央で立ち止まりゆっくり周りを見回す。
濡れたブランコや佇む滑り台に懐かしさを感じる。
ベンチに座って暫く眺めてみたいと思いつつも、ニスを塗ったようなテカリ具合にまことは苦笑した。
「どこか雨宿り出来る場所無いかな」
そのまま帰るのは勿体無い気がしてまことは公園内を見回す。
「あれ?」
ふと、公園の隅に人影をまことは見つけた。
すらりとしたプロポーション。
長い髪の独特な色合い。
覚えがあったまことが名を呼んで駆け寄る。
「美奈子ちゃん」
「…まこちゃん」
美奈子の肩に掛かる傘は不自然に斜めでその機能を殆ど果たしていない。
そっとまことが自分の傘に美奈子を招く。
「こんな所で何してんだよ。傘もちゃんと差さないと…」
言って、美奈子が何かを抱いている事にまことは気づいた。
「その子…」
こくりと頷き美奈子は腕の中の白い毛を撫でる。
泥と雨に濡れた毛は弾力を失い、所々赤黒く染まっていた。
丸く綺麗な瞳をしているであろう双眸は閉じたままで開かない。
「先刻、そこで見つけたの。せめて埋めてあげようと思って…」
悲しい笑みにそっとまことは美奈子の腕で眠る頭を撫でた。
「そっか…」
暖かく無いのに、冷たいとも言えない温度。
何とも寂しい温もりだとまことは思う。
「あっちなら多分埋めれる場所があるよ」
言って、案内するまことに無言で美奈子は連いて行く。
人が踏み込んでいない鬱蒼とした茂みを掻き分け、まことは土の柔らかそうな場所を探す。
雨が幸いと言うべきだろうか。
じっとり濡れた土は踏むだけで微かに沈んだ。
「ここなら誰かに踏まれる事も無いよね」
「そうね…」
言って、その場に美奈子はしゃがんだ。
辺りに転がる石を一つ掴んで地面を掘り出す。
その隣でしゃがんだまこともまた、適当な木切れで土を掘った。
何も語らず、何も聞かずまことと美奈子は穴を作る。
美奈子の膝の上で眠る小さな体が一段と小さくまことには見えた。
数十分も経つと大きな穴が一つ地に穿たれる。
その中に体積を失った体をまことと美奈子が預ける。
ずっと無言のままの美奈子に、もしかしたら最期を見届けたのかもしれないとまことは思う。
土を掛け、近くの木から一本枝を拝借すると標のようにまことは立てた。
そっと美奈子が手を合わせる。
まこともまた手を合わせて瞳を閉じる。
幼いまま失われた小さな灯火。
大きな未来が待っていただろう。
運命と言ってしまえばそれまでかもしれない。
だが、その言葉の重みをまことは嫌というほど知っている。
だから、まことは祈る。
次の命が幸せであるようにと、静かに祈りを捧げた。
「どうしてかしらね…」
ぽつりと聞こえた呟きにまことは瞳を開けた。
「…慣れないわ」
街灯のせいなのか、美奈子の顔が翳る。
「昔から…それこそ数え切れない程、死を見てきてるのにどうしても慣れないわ…」
美奈子の手が切なく土を撫でる。
敵の絶命。
味方の最期。
前世から戦いに投じてきたその身は灯火の消える瞬間を多く見届けてきた。
なのに、一向に平気にならない。
心が寂しさに埋め尽くされ、泣く事も出来ずに立ち尽くす。
「何度も経験してるのにどうしてかしら…」
寂しい微笑にまことは合わせた手を離した。
「それは…美奈子ちゃんがヴィーナスだからだよ」
ゆっくり美奈子を見つめる。
「美奈子ちゃんは…慈しむ者だから…」
生命を慈しみ愛す存在。
抱きしめ、包み込む象徴。
その星を持つ者が抗えない悲しみに慣れる日など来るとはまことには思えない。
「慣れる日なんて来ないよ」
言って、美奈子の頬をまことは撫でた。
「慣れなくても…良いんだよ…」
すんと鼻を鳴らすまことの手を取って美奈子は瞳を閉じる。
「それは…まこちゃんも同じでしょ…」
生命を育む存在。
風となり大地となり見守る。
その星を受け継ぐ者が絶えがたい寂しさに胸を痛めない日など来ないと美奈子は思う。
「ねぇ…」
まことの掌にそっと美奈子は口付ける。
「私が死んでも…悲しんでくれる…?」
ぴくんと掌が震えた。
きりりと唇を噛む音に、酷い事を聞いてると美奈子は自嘲する。
「まさか」
まことが一笑した。
立ち上がるまことに、するりと掌が美奈子を置き去りにする。
「あたしより先に死んだら絶対に許さない」
怒気さえ含む強い口調。
街灯を逆光に受けるまことの顔は見えない。
掌が強く握り締められ震える。
泣いていると美奈子は思う。
「…そうね」
ゆっくり美奈子は立ち上がった。
風に靡く墓標に目を細め微笑を浮かべる。
「私もよ…」
慈しみと育みに見守れながら小さな墓の小さな骸が自然へと帰った。



