のんびりとした冬の日曜日。
日本全国共通の休みは、学業も休日の日で、長閑だった。
天気は快晴と言っても良いほどに太陽が輝いている。
冬の乾燥した空気は夏とは異なり、澄んでいた。
その上、昨夜降った雨のお陰で塵や埃も何時もより少ない。
窓を開けて静留は深呼吸をする。
冷たい空気が肺の中で充満した。
寒いのに気持ちが良い。
常に忙しい静留にしては珍しく今日は用事が何もなかった。
久しぶりにのんびり過ごせそうだと静留は思う。
「なつき、今日は何か用事入ってはります?」
「ん?私は特に何もないぞ」
炬燵に足を突っ込んで雑誌を読んでいたなつきは言った。
「静留はどこか出かけるのか?」
「ちゃいますえ。うちも今日は用事があらへんさかい。なつきとのんびり過ごしたいと思ただけどす」
「あ、あぁ…そうか。…まぁそれもいいんじゃないか。たまには、な」
視線を雑誌に落とすなつきの声が惑う。
認めた静留は口元を綻ばせた。
共に暮らし始めて早半年。
未だにほんの少しの想いを見せるだけでなつきは頬を赤く染める。
人付き合いが少ないせいで返し方を知らないと言うのもあるのだろうけど、なつきの場合は生来の照れ屋が先に立つ。
ずっとなつきは恋愛下手のままかもしれない。
そして、そのままでいて欲しいとも静留は思う。
下手に慣れてしまうとこのちょっとした惑いが無くなる。
おそらく己しか知らないなつきの素顔が見られなくなるのは寂しい。
無くすには勿体無い特権はずっとこの手にしていたい静留はあえてなつきに聞いた。
「なつき、横にいってもええ?」
「別に構わないが…狭いぞ?」
部屋の中央に置かれた炬燵は、少人数用の正方形ではなく、家庭用の長方形サイズだ。
それなりの広さがある。
とはいえ、炬燵は通常一スペースに一人が足を入れる形になっており、二人が同じ場所から足を入れればやはり狭い。
「わざわざここに来なくても他に入る所は幾らでもあるだろ」
「大丈夫どす。狭くてもうちは構いまへんえ」
「いや、私が構うんだが……」
なつきの呟きを聞こえなかった事にしてなつきの隣で静留は炬燵に入った。
「温いどすなぁ」
「…まぁ、炬燵だからな…」
雑誌を広げる振りをして、なつきは隅に移動する。
微かに触れ合う腕が明らかになつきを惑わせていた。
楽しそうに静留は微笑む。
「なつきは先刻から何を読んではるん?」
あえて、体を引っ付けるようにして雑誌を静留は覗き込んだ。
「た、ただの通販雑誌だ。大した記事は載ってないぞ」
言って、なつきは半身を引く。
横目で二の腕を覗く様子から、当たってしまった胸の膨らみが気になったのだろう。
可愛いと思う静留の目尻が緩む。
「あら、占いも載ってはるんやね」
「…占い?」
「ここに手相占いが載ってはりますえ」
雑誌の一画に掌の絵が描かれていた。
掌には一見カタカナのラにも見える線が描かれており、一画一画にそれぞれ意味が書かれている。
その他にも小指の付け根辺りの細かい皺やら、ラを縦断するような線も引かれていた。
そして、全てに意味が記述されていた。
「本当だな」
「やっぱり雑誌に占いは欠かせないんやね」
「女は占いとか好きだからな」
自分の性別を棚に上げるようになつきは言う。
「せや。なつきの手相も見てみぃへん?」
「なんだ。静留も占いは好きなのか?」
「嫌いやあらへんよ」
辻占いを始め、果ては陰陽師にまで至るような京都で静留は育っている。
寺社仏閣が多く、お守り一つでも種類が豊富な地域に長年住んでいれば、自然と興味の一つも沸くというもので。
「さ、手相を見せとくれやす」
興味津々で静留はなつきの掌を求める。
「ま、どうせ遊びだしな」
信じていない顔でなつきは掌を静留に見せた。
なつきの掌に刻まれている線と雑誌を静留は見比べる。
「この線が感情線で、こっちが頭脳線……あぁ、かしこい手相してはりますわぁ」
「それなりの成績はキープしてるからな」
当然とするなつきに静留は微笑む。
「せやね。出席日数以外は問題あらへんもんね」
「…煩い。黙って続けろ」
「はいな」
さぼり癖が抜けないなつきの痛い所を突きつつ、静留は手相占いを続ける。
「この細かい線は何やろ……」
雑誌に書かれている小指の付け根辺りの線を読んだ静留は目を見開いた。
「痛っ!」
なつきの手首を捻り上げて、小指の付け根付近を凝視する。
「静留!腕はそっちに曲がらん!!」
悲鳴は静留に届かなかった。
一心不乱に静留は見続ける。
「……あらへん」
やがて、呆然と静留は呟いた。。
「あらへん。じゃなくて手首を返せっ!!」
「あ、堪忍」
絨毯を叩いてギブアップするなつきにようやく気がついた静留は手を離す。
「いきなり手首をキメるなっ!」
「ほんま堪忍…。そないなつもりはなかったんやけど」
肩を落として静留は反省する。
「小指の辺りの線を探すのに夢中になってしもて…」
「一体どんな意味の線なんだ」
「それは…」
問われた静留が微かに頬を染めて口ごもる。
「お前、人の手首を急にキメといて言わないつもりか」
手首を回転させて筋を戻すなつきに睨まれては黙っている訳にはいかなくて。
「…結婚、線…どす」
小声で静留は言った。
「結婚線?そんなもん無くても良いだろ」
「そらまぁ…そうかもしれへんのやけど…」
絨毯にのの字を書きながら静留は言う。
「ちょお夢見たかったんどす」
「夢ってどんな夢だ?」
「何のって……」
鈍いにも程があるなつきに深く深く静留は溜息を吐いた。
「うちとなつきの…そういう線があったらええなぁ、なんて……思て」
「って、おい」
「ええやないの。うちかて夢見たい年頃なんどす!」
「逆ギレするなっ!」
絨毯に両手を突いて怒り出す静留になつきは頭を抱える。
これが他の誰かなら馬鹿の一言で済ます所だが、静留の場合本気だから怖い。
どうした物かと思案したなつきは、ついと静留の手を指す。
「お前の手相はどうなんだ?」
「うちの、どすか?」
「そうだ。その結婚線というのあるのか?」
言われて、静留は自分の小指の付け根見た。
「あら」
そして、重大な事に気づく。
「うちにもあらへん」
艶やかな肌には運命を示す線はおろか皺一つ無い。
「ほらみろ。占いなんてそんなもん……」
「って事は…やっぱりうち、なつきと結婚出来へん言う事なん……?」
「おい。私の話を聞いてるか?」
「何時かはなつきと別れてまうんやろか…」
「だから私の話を聞けって」
「嫌や。そんなん絶対に嫌や……」
一人呟いて、青ざめながら落ちて行く静留になつきは天を仰ぐ。
どうにもなつきの事に関すると静留の頭は悪い方向にしかいかないらしく。
またその理由の一端はなつきにも原因がある。
「ちょっと待ってろ」
大きく息を吐いてなつきは立ち上がった。
「なつき?」
自室へと戻るなつきを静留は目で追う。
不思議そうに首を傾げると、程なくしてなつきは戻って来た。
手には赤のマジックを持っている。
「静留、手を出せ」
「こう、どすか」
掌を見せると、掴まれてなつきの視線まで持ち上げられた。
「動くなよ」
口でキャップを咥えて、マジック開けたなつきは、静留の小指の付け根に一本の線を書く。
その後直ぐにマジックを左手に持ち替えて、自分の小指の付け根にもなつきは一本の線を書いた。
利き手とは逆の手で書かれたなつきの線は山なりだ。
「ちょっと曲がったが、まぁいいか」
言って、なつきはマジックをテーブルに置く。
「ほら、これで良いだろ」
「これでって…」
小指の付け根に書かれた線をまじまじと静留は見つめる。
「なんや、反則な感じが否めないんやけど」
「別に良いだろ。どうせ日本じゃ無理だ」
「日本じゃ……って」
何気ないなつきの一言は静留にとって不意打ちだった。
じんわり染みるその意味に静留の頬が朱に染まる。
「ほな…アメリカやったらええ、の?」
か細い静留の問いに絨毯へなつきは突っ伏す。
「なつき?」
頭上から覗くと、疲れ切った声が返って来る。
「…すまんが、それについては控えさせてもらう…」
「何で?」
「お前は本気で実行しそうだ」
「そないな事…」
ない。とは静留自身言いきれない。
「と、とにかくだ!」
一気に体を起こして、一息でなつきは言う。
「要は気持ちの問題だろ!」
「気持ち…どすか」
「解ったらそれで納得しろ!っと言うより、納得してくれ」
捲し立てた声の最後は願いだった。
顔は、これでもかという位、温度を上げており、唇は逸っているである鼓動を精一杯堪えている。
「なつき…」
見つめると、なつきが後づさった。
「マ、マジック。戻して来る」
テーブルのマジックを鷲掴みにして自室に向かうなつきの耳もまた、赤い。
一人になった部屋の中央で、書かれた赤い線をゆるりと指で静留はなぞった。
静留とて本気で占いを信じている訳ではない。
運命は変えられる事はなつきが教えてくれた。
例え占いの結果が最悪でも変えられる以上、信じるに値しない。
けれど、全く信じていない訳でもなかった。
想いが力となる事も身を持って知っている。
最高の結果を信じていれば何れ叶う日も来るだろう。
結局はどの様に受け止めて、どういう風に動くか。
本人の気持ち一つで運命は変わる。
「どこでこないな事、覚えきはるんやろ」
照れ屋で、恋愛下手なのに。
たった一本の線を書くだけで静留の心を攫ってしまう。
そこに込められた気持ちには一生勝てそうになくて。
困ったように苦笑する静留の頬は綻んでいた。



