春の風が爽やかに流れ、お日様が高らかに輝く日曜日の朝。
ある決意を静留は固めた。
「今日はなつきの部屋の掃除どす」
共同で使用している居間や寝室は、日々静留が清潔を心がけている為、決意を固めるほど汚れてはいない。
何時でもお客様を迎えられるような状態だ。
だが、なつきの部屋だけは勝手に立ち入らないように静留はしていた。
なつきとて静留に知られたくない物や、人に触らせたくない大切な物の一つや二つはあるだろう。
静留としてはなつきの事ならどんな些細な事でも知りたいところではあるが、共に住んでいるからこそ大切なルールでもある。
それに、静留では価値が解らない物をなつきは沢山持っていた。
バイク雑誌やパーツがまさにそれだ。
見ても必要なパーツなのか、それとも不必要なパーツなのか全くと言って良いほ
ど解らない。
雑誌に関しても古いからと言って、捨てても良いとは一概には言えなかったりする。
なつきがいない時に掃除して、誤って捨てたりしたら、それこそ事だ。
「その心配も今日ならあらへんしな」
日曜日で、なつきも家にいる。
解らない物はその場で聞けば済む。
誤って捨てる心配は無いに等しい。
気合を入れて、掃除機と共に静留はなつきの部屋に赴く。
「なつき、ちょっとええどすか?」
「んー、何だ?」
ベッドの上で寝転がりながらなつきはバイクの雑誌を読んでいた。
「なつきの部屋を掃除したいんやけど、ええやろか?」
「掃除?」
きょとんとした瞳でなつきは雑誌から顔を上げた。
「掃除ならこの間…」
「何時の話どすか。それは」
なつきを最後まで待たずに静留は問う。
「何時って……」
体を起こしてなつきは考える。
右手の指が一本一本折り曲げられ、やがて指は足りなくなった。
左手の中指が折り曲げられるようになると、溜め息混じりに静留は言う。
「もうええどす」
「そ、そうか?」
ベッドの上で胡坐を掻き直すなつきの指は全て折り曲げられている。
「とにかく。掃除させとくれやす」
「……はい」
まずい、と思ったのかなつきの返事は素直だ。
なつきの了承を得て、早速静留は掃除を開始した。
脱ぎ捨てられた服を片っ端から拾い、脱衣所へ持って行く。
ついでに、洗濯機も回す。
それから部屋に散乱する雑誌や本を纏めて篩いに掛ける。
申し込み期限の切れた通販雑誌は次回の廃品回収に。
まだ申し込みに余裕のある雑誌は、本棚に片付ける方向へ。
分類が難しい雑誌は、それだけで纏める。
「なつき、このバイクの雑誌はまだ読みはる?」
「あぁ。それはもういらないな」
「こっちはどうどす?」
「それはいる」
一つ一つ聞きながら静留は着実に、必要な物と不必要な物を振り分けた。
その流れのまま、なつきの机の上も片付ける。
ペンを鉛筆立てに戻し、積み上げられた教科書は本棚に立てる。
「あら。こないな本も読みはるんやねぇ」
推理小説の文庫本を発見して静留は驚く。
「あ、それは舞衣に借りたんだ」
「鴇羽さんに?」
「まだ私も読んでないんだが有名な小説家らしくてな。面白いって言うから借りた」
「そうなんどすか」
小説家の名前を見ると確かに静留も聞き覚えがある。
ただ、読んだ事は無い。
「うちも後で読ませてもろてもええやろか?」
「別に良いんじゃないか。一応舞衣には私から言っておくから」
「おおきに」
微笑んで、借り物を無くさない場所を静留は探す。
「机の引き出しの中に入れといてもええ?」
「あぁ。いいぞ」
解りやすいようにと、三段ある引き出しの一番上を静留は開ける。
引き出しの中は部屋と違ってすっきりしていた。
と、いうより殆どの物が机の上や部屋内のどこかに外出中な訳で。
「ほんまにもぅ……」
静かに項垂れて、小説を静留は仕舞う。
コン、と小説が何かに突っかかった。
「何やろ?」
引き出しの奥を覗いた静留は目を疑った。
一箱の煙草と灰皿。
それにライターが引き出しの一番奥に隠されていた。
「なつき、これ……」
「ん?そ、それはっ!」」
静留の手に握られた煙草になつきが驚愕する。
「そ、それはだなっ!別に隠してた訳じゃなくてだなっ!!」
「何時からなん?」
静かに問う静留に、なつきの頬が大きく引き攣った。
その表情になつきが自ら手に入れたのだと静留は思う。
「未成年が吸うんは感心しませんえ」
成人していればそれ程とやかく言うつもりは静留はない。
決して体に良い代物では無いが、酒と同じで嗜好品だ。
絶って欲しいと思っても、もう少しやんわりとした物言いをする。
しかし、なつきはまだ未成年だ。
法律で許されていない。
それより何よりも、なつきの体を静留は心配する。
「一体何時から吸うてはるん?」
なつきの前に煙草一式を並べて静留は問いた。
「……一度しか、吸っていない」
諦めたようになつきは言う。
「もう二年くらい前になるか。一度だけ吸ったが、それ以来吸っていない。
「せやったら何でまだ捨てずに持ってはるん?」
煙草は隠すように引き出しの一番奥に入っていた。
いくらなつきが不精とはいえ、捨てる機会はあった筈だ。
それを何故未だに持っているのか静留は不思議に思う。
「思い出…いや、戒めだな」
「煙草がどすか?」
「……まだ一番地を追ってた頃に一度吸ったんだ」
胡坐の上で両手を組んだなつきは天井を見上げた。
「あの頃は全く有益な情報が得られなくてな。その時自棄になって一度吸った」
煙草の口をなつきは開ける。
なつきの言う事を証明するように一本しか減っていなかった。
「だけど無茶苦茶不味いわ、咳き込むわで、二度は吸う気にならなかったんだ」
苦笑したなつきの瞳がふと、遠くを見つめる。
「馬鹿、だったんだろうな。こんな物に頼ったところでどうにかなる問題じゃなかった
のに…」
煙草を見つめるなつきの瞳に寂しさが募った。
二年前、静留となつきはまだ出会って間もない。
なつきが何を調べているのか静留はまだ知らなかった。
それ以前になつきが最も人を信じていない頃だ。
復讐心だけがなつきを生かして、殺していた。
一体どんな気持ちで煙草に手を出したのだろう。
思う静留の胸が苦しくなる。
「まぁ、なんだ。馬鹿な自分を忘れないようにしてただけだ。捨てても良いぞ」
言って、なつきは静留に煙草を渡す。
「なつき……」
静留は笑えなかった。
静留自身、生徒会で没収した煙草に手を伸ばしかけた事がある。
あの時は、なつきへの情が抑えきれそうになかった時だった。
結局は手をださずに終わったけれど。
馬鹿としか思えない行動に縋りたい時は誰にでもあるだろう。
例え単純に、募った苛立ちのはけ口だったとしても。
現実を忘れたい時はあると静留は思う。
「…静留?怒っているのか?」
恐る恐るなつきは静留の様子を窺った。
煙草を隠し持っていた事を怒っていると思っているのだろう。
暫く渡された煙草に昔の思いを馳せていた静留だが、おもむろに煙草を開けた。
一本取り出して、咥える。
「静留っ!?」
ライターで火を着けると静留の肺が煙に巻かれた。
吐き気を伴う苦しさが静留を襲う。
「ごほっ!…っ、ごほ……っ!」
静留が盛大に咳き込んだ。
「馬鹿っ!いきなり吸う奴があるかっ!!」
咳き込む静留から煙草を取り上げ、なつきは静留の背を擦る。
「もう、怒れへんなぁ……」
二年ぶりに使用された灰皿から緩やかな煙が一筋昇った。
「うちも未成年なんに、煙草吸ってもうた」
涙目で苦しい呼吸の中、静留は言う。
「なつきと同罪やわ」
「静留……」
「これはお返しします」
軽い咳を繰り返しながら煙草をなつきに静留は渡す。
「うちが捨ててもええ物やあらしまへん」
ほんの一息だったのにまだ口の中はざらつき、肺には重石を乗せられている感が
する。
出来る事なら取り出して洗い流したい位だ。
しかしそれはなつきが背負う戒めの重さでもある。
「捨てる時はなつきが自分の手で捨てとくれやす」
受け取った煙草をなつきは見つめた。
こほりと静留が咳をする。
「いや。これはもういらない」
言って、なつきは静留に顔を寄せた。
重なる唇が煙草の味をなつきに移す。
「この味が今日から私の戒めだ」
「なつき…」
ゆっくりと静留がなつきに唇を寄せた。
苦かった煙草の味が二人の間でやがて甘くなる。
なつきの手が静かに煙草を握り潰した。



