「さて」
夕食を終え、一心地ついたなつきはお茶を啜って台所を見た。
水の音に紛れて食器が洗われる音が聞こえる。
夕飯の片づけを行っている静留はなつきの帰りを笑顔で迎えた。
おつかれさんどす。と、開けられた玄関の先には夕飯の用意もされていた。
夕飯を差し向かえで食べていても話題は学校であった出来事や他愛ない天気の話ばかりで。
静留の言動は現実を避けているようにもなつきを待っているようにも取れた。
「……待っているんだろうな。あれは」
呟いて、なつきは茶を啜る。
混乱から話を半ばで打ち切ってベッドに潜り込んでみたが眠気は一向に襲ってこず、
頭は冴えるばかりで。
浮かぶのは二人の行く末と赤ん坊。
「舞衣じゃないが大概の事では驚かなくなったつもりだったんだがな」
HiMEとして覚醒してから蝕の祭りの終焉まで。
生きるか死ぬかの瀬戸際を駆け抜けて来た分、大概の事では驚かなくなったつもりのなつきだが静留が絡むと驚く事しかない。
その中でも今回は静留の本心を聞いた時と同等の衝撃だ。
「ん?」
湯飲みを傾けると中身はもう空になっていた。
「静……」
お茶を貰おうと呼ぼうとしてなつきは止める。
黙って湯飲みをテーブルへと返す。
腹はもう決まっている。
迷う事など何も無い。
だが、一度避けてしまった話題はなかなか戻し難く。
まして今後の生活が関わる話となると冗談交じりともいかない。
切っ掛けを探してなつきは静留の背中を追う。
不意に静留が振り返った。
「ナ、ナンダッ!?」
「先刻からどないしたん?落ち着かへんみたいやけど」
気づかれていると思わなかったなつきの声は裏返り、その驚きっぷりに苦笑しながら静留は居間へと戻って来る。
「あぁ。お茶がのうなってしもたんやね。お代わり持ってきましょか?」
テーブルの上の湯飲みを見届け、静留は踵を返そうとした。
「…いや。お茶は良い。片付けは終わったのか?」
「ええ。終わりましたえ」
「そうか。ならちょっと良いか?」
「改まって何どす?」
言われるままになつきの前に座り、静留は首を傾げる。
「話があるんだ」
真剣な面持ちのなつきに静留の顔が強張った。
「……はい」
膝を正し、手を置く。
強く握られた指は微かに震えていた。
怯えるように俯き加減の静留は怯えていて。
後悔がなつきに押し寄せる。
しかし、過去を振り返っても始まらない。
今、必要なのは未来だ。
静かになつきは口を開く。
「静留の実家は京都だったよな」
「え?」
言葉の訛りで充分解る当然を改めて問われ、静留は目を瞬かせた。
「ええ。そうどすけど…」
「ご両親はどうしてるんだ?」
突然行動を起こすのはなつきの常ではあるが、今回は少々勝手が違う。
真意が読み取れない。
昨日の続きだと気を張った分、憤りを感じ、それ以上に恐怖を感じる。
「何で急にそないな事聞かはるん?」
身を乗り出して静留が問い返すとなつきの目が泳いだ。
「昨日の…うちとなつきの赤ちゃんの話をするつもりやったんやないの?」
「そうなんだが…その前にだな」
「……やっぱり迷惑、どすか?」
「え?」
震えた声になつきは静留を見つめた。
「…せやね。赤ちゃん、やなんて…なつきは迷惑以外何でもあらへんよね」
自分に言い聞かせる静留の掌に爪が食い込む。
「堪忍な。また迷惑掛けてしもて」
「ちょ、ちょっと待て!」
諦めた微笑みを浮かべる静留を慌ててなつきは止めた。
自己完結した静留を諭すのは他人が思う以上に困難だ。
まして、なつきが関わると直ぐに我を失うやっかいな癖もある。
そうでなければ蝕の祭りであんなにも壊れる事は無い。
「迷惑だなんて私は一言も言って無いだろ!」
「せやったら何で急にうちの実家の事なんて聞きはるん?」
「だからそれはっ」
「実家に帰れって事ですやろ!」
「んなっ!?」
静留が達した結論になつきは目を見開いた。
専売特許の筈の短絡思考の四文字が静留相手に浮かぶ。
「お前は馬鹿か!!」
「どうせ馬鹿どす!うちは阿呆どすっ!!」
「開き直るな!」
「なつきが言うたんやないのっ!!」
売り言葉に買い言葉で返し、静留は顔を背ける。
「もうええどす。昨日の話は忘れとくれやす」
「だーーー!もぅっ!!」
この話は終わりと頑なな態度の静留になつきは吠えた。
「頼むから冷静になってくれっ!」
「うちは冷静どす」
「本当にそう思うか?」
「……それは」
静留に躊躇いが生じた。
まだ完全に我を失ってはいないようで、なつきが息をつく。
「私は迷惑だなんて少しも思ってない」
努めて穏やかになつきは言った。
「……嘘や」
「まだ疑うのか」
頑固さに思わずなつきは呆れる。
「なつきが悪いんどす」
「何で私のせいになる」
「急にうちの実家の事なんて聞きはるから…。うちは……」
「お前なぁ」
頑固もここまで来ると見事なものでなつきは感心すら覚えた。
「いいか?私は別に帰れとか迷惑とかそういう意味で聞いたんじゃないんだ」
言葉を選びながら慎重になつきは話を続ける。
「その、今までちゃんと聞いた事が無かったから聞いただけだ。
……覚悟もあるにはあるが」
独り言のような最後の一言に静留が身構えた。
「帰れという意味じゃないぞ。違う意味だからな」
また自棄になられては困るなつきは慌てて否定する。
「ちゃんと順番に話すから。な?答えてくれないか?」
不安にさせまいと心を配りながらなつきは問う。
「……解りました」
翳りのある声は気になるものの、まだ話の余地がある静留になつきは一息ついた。
ゆっくり体を離し、静留の前になつきは鎮座する。
「お前のご両親は京都で何をやってるんだ?」
改めてなつきは問う。
「お母さんはうちが幼い頃に亡くなりました」
「あ……い」
初めから聞いてはいけない過去に触れてしまいなつきが口を閉ざす。
「ええんよ。うちもあんま覚えてへんくらい幼い時の事やから」
バツが悪そうななつきに静留は微笑む。
「う、うん……」
それでも、視線を落としたなつきは困って、自分の膝を擦っている。
死という物に人一倍敏感ななつきにはやはり酷だったと静留は思う。
だからこそ話さないようにしていたのだが、この状況下では答えない訳にはいかない。
「お父さんは京都で焼き物の売買を商いにしたはります」
せめてもの償いにと静留は早々に話題を切り替える。
「へぇ」
なつきの手元が落ち着いた。
静かに安心して静留は続ける。
「昔はお茶の先生してはったんやけど。そん時お茶碗に魅入られてしもてなぁ。
気づいたらお茶の先生を片手間にしたはりましたわ」
困った事もあったのだろう。
話す静留は微かに嘆息気味だ。
「じゃあお父さんはご健在なんだな」
「ええ。帰る度にびっくりするくらい元気どす」
言葉の端々で見え隠れする静留の困り顔に振り回されっぷりが窺える。
「そ、そうか」
自分を振り回している人物を振り回す相手。
太刀打ち出来ない気がなつきはした。
「やけど男手一つでうちをここまで大きゅうしてくらはったさかい。尊敬してます」
感謝でなく。
尊敬していると静留は言った。
男手一つという意味ならなつきも同じ立場である。
だが、恨みこそ思えど感謝などしていない。
尊敬などする気すら起きない。
対照的な家庭環境が羨ましいのか、それとも嫉妬しているのか。
寂寥感が胸に残り、詮無き事だと言い聞かせてなつきは話を続ける。
「…お前に薙刀を教えたのもお父さんなのか…?」
体の一部とも言えるエレメントとはいえ静留の腕は見事だった。
ましてただの薙刀ではない。
帯状に伸びる薙刀だ。
エレメントとはいえ力量がなければあそこまで操るのは容易ではない。
「薙刀はお父さんの知り合いの先生に教えてもらいました」
「段位とか持ってるのか?」
「年齢で段位は取れへんかったけど。実力はあると言われた事ならあります」
エレメントに匹敵する力があればこそのあの腕前。
まさに心身一体だとなつきは頷く。
「じゃあお前のお茶の腕はお父さんからか」
「ええ。他にも護身術くらいは教えてもらいましたけど」
聞き捨てならない一言になつきが反応する。
「護身、術?」
「娘のうちが言うんも何やけどな。お父さん結構多彩な人なんよ」
静留を見ていれば一般的な父親像とは異なる親だというのは想像に易い。
しかし今感じる嫌な予感はそういう意味じゃない。
怯えるような冷や汗がなつきの背を伝う。
「どんな風に多彩なんだ……?」
「武芸一般に秀でている、言うんやろねぇ。合気道やら剣道やら。
あぁ小武道もそれなりに嗜んではりますなぁ」
眩暈がしてなつきは仰向けに倒れ込んだ。
「今度こそまずいかもしれないな…」
一発や二発殴られる覚悟はしていたがそれだけでは済まされない多彩さ
に生命の危機をなつきは感じた。
「なつき?」
動かないなつきに静留は小首を傾げる。
「何でもない…」
想像の時点でKOされたなつきは乾いた笑みを浮かべて体を起こした。
打ちのめされた体に力は無く、大きな溜め息が床に落ちる。
「なつき。そろそろ話してくれへんやろか…」
息を詰めた声になつきは顔を上げた。
微かに潜められた眉はなつきの真意を怖がっている。
あれ程実家に帰れという意味じゃないと言い続けたというのに瞳は信じていない。
想像に打ちひしがれている場合じゃないとなつきは静留を見据えた。
「その前にもう一つ聞きたい事があるんだが」
怖くて仕方が無いというのに。
まだ引き伸ばされて静留は瞳を伏せたまま答えた。
「何どす」
「お前の…その、性癖というか…同姓が好きだという事を
お父さんは知っているのか?」
静かに静留は首を横に振った。
「いいえ。知りまへん」
「…そうか」
会わない方が良いのだろうか。
静留のそれを知らないのならこのままの方が良いのかもしれない。
きちんと挨拶をしたい所ではあるが円満な親子関係を壊すのは本意に反する。
会うべきか、隠し通すべきか。
腕を組んでなつきは迷う。
「せやけど、多分」
「多分?」
「……気づいてると思います」
同性を恋愛対象にする性は静留であって静留のせいではない。
それでも、自責の念は強く抱えているのだろう。
かつてなつきへの想いは邪まだと言い放った時のように。
「うちがなつきと暮らすって報告しに行った時なんやけどな…」
唇を戦慄かせて静留は続ける。
「お父さん…何も聞かずに解ったって言ってくらはったんよ」
「…そうか」
「やけど一つだけ。帰り際に一言だけ。お前が幸せならそれが一番やって……」
最後は涙声だった。
同性しか愛せない娘が同じ性の誰かと一緒に住む。
本当に静留の性に気づいているのならそれは友人との同居とは捉えないだろう。
一体どんな気持ちで送り出したのか。
深い父親の情になつきも決心も固まる。
「来月の連休。お前、実家に帰らないか?」
ビクッと静留の体が強張った。
「私を静留のお父さんに会わせてほしいんだ」
言って、静留を真っ直ぐなつきは見据える。
「色々考えたんだがやはり挨拶がしたい」
「挨拶、どすか」
怪訝な顔をする静留のお腹をなつきは見た。
「子供が産まれるんだ。挨拶しない訳にはいかないだろう」
「な、つき…」
呆然としたまま意味を解す静留の瞳に嬉しい涙が溢れる。
「丈夫な子を産んでくれ」
「なつき!」
「どわっ」
感極まって抱きついてきた静留になつきは押し倒された。
後頭部が鈍い音を立て、なつきの視界が光でちらつく。
「お、前……」
「うち絶対にええ子産みます!あんじょうきばります!!」
なつきの胸元で喜ぶ静留は痛みを訴える隙を与えてはくれなくて。
「……頑張ってくれ」
痛みを堪えながら二人分の命をなつきは抱きしめた。



