まっさら

by 瑞穂

15 8月
2016

 それは幼い日の思い出。
 薄れている記憶の中でいつまでも鮮明に残る淡い会話。

「おっきくなったら、みくをおよめさんにするねっ!」
「じゃあ、ひびきがおむこさんなの?」
「えっ?」
「わたしがおよめさんなら、ひびきがおむこさんだよね?」
「え、えー……。わたしもおよめさんがいい……」
「わたしもひびきもおよめさんになるの?」
「そうっ! わたしがみくがおよめさんで、みくはわたしのおよめさんっ! だからけっこんしようねっ」
「……うん」

 あの約束から遠くまで来てしまったけれど、貴女は覚えているだろうか……。



 
 今年の冬はどこかおかしかった。
 雪が舞い凍えるような寒い日が続いたかと思えば、朗らかな春を思わせる日和が続き、そうかと思えばまた肌を刺すような寒さが訪れる。
 2月に入るとおかしさは一段と顕著になり、お伽噺の北風と太陽のような移ろいやすい日々が続いた。
 そして、上旬がまもなく終わる本日は外で待ち合わせるには些か不向きだった。
「響、まだかな」
 腕の時計に目を向けると、待ち合わせの時間から15分過ぎている。
 端末には何の連絡も入っていない。
 首に巻いている淡いオレンジ色のマフラーを未来はずり上げる。
 今朝は暖かかったせいでマフラーとコートは着ているものの、その下の着衣は寒い日よりも一枚減らしてしまった。
 移動している時は気にならなかった寒さも突っ立ているだけになると体に染みてくる。
 街を行き交う人々も心なしか帰路を急いでいるように見えた。
 夕暮れ時も過ぎて外灯が煌々と道を照らすこの時間の寒さは一層増している。
 響と待ち合わせをせずに真っ直ぐ帰宅していれば、未来も家に着いている頃合いだ。
 今頃はあったかいものを飲んで一息ついていただろう。
 手袋越しに息を吹きかけると、白い息が手の平に当たり霧散した。
 そのままもう一度、腕時計に目を向けると、まもなく待ち合わせの時間から30分を経過しようとしている。
「未来ーーーーっ!」
 長針が30の数字に重なるか重ならないかの瀬戸際で大きな声が未来を呼んだ。
 顔を上げると、焦った顔が器用に人の波をすり抜けながら駆けてくる。
 響だった。
 最速で最短で真っ直ぐに未来の元に走る響が首に巻いている緑のマフラーがふわふわとはためく。
「ごめん! すっごく待たせちゃったよねっ!?」
 到着するや否や未来に響は両手を合わせた。
「響、今何分か知ってる?」
「本当にごめんなさいっ!!」
 響に習ってか、項垂れるように首元からマフラーがだらりと垂れる。
「報告書が思ったよりも時間掛かっちゃって、いつの間にか定時を過ぎちゃってたんですっ」
 リディアン音楽院を卒業して早数年。
 響も未来も就職をして社会人の仲間入りをしている。
 社会に出て感じた学生との違いは時間の優先順位だ。
 仕事となると自分の都合は後回しにしなければならない状況は多々とある。
 むしろ、自分の都合を優先させられる時の方が少ない。
 最も響に関しては学生時代と然程変わらないのだが、それでも社会人らしく仕事を終わらせてきたようだ。
「お仕事で遅刻するのは仕方ないけれど、心配になるから連絡はしてね」
「はいっ!」
 真っ直ぐな返事に肩の力を未来は抜く。
「体冷えちゃったし、あったかいものが食べたいな」
「奢らせてくださいっ!」
「じゃあ、今日のお夕飯は響の奢りね」
「はっ………え?」
 真っ直ぐな返事が躊躇した。
 にこりと未来は微笑む。
「冷蔵庫のお肉食べ切っちゃったよね? お肉買って帰ろっか」
「……マジっすか?」
「マジだよ?」
「……物入りだったんだけどなぁ」
 頬を引き攣らせて呟いた響に未来は小首を傾げる。
「物入りって、何か高い物でも買ったの?」
「あ、っと……。何でもない、です。……奢ります」
「ごちそうさま」
 物入りの理由が気になりつつも未来はそれ以上詮索しなかった。
 30分過ごした場所から踵を離して響の横に立つ。
 歩き出すと肩をがっくり落としたまま響もまた歩む。
「お財布にいくら残ってたかなぁ……」
 突然の出費は未来が思っていた以上に痛いようだった。
 学生寮の頃とは違って家賃や光熱費や食費と生活にお金がかかるようになっているが、生活費はお互いの収入から折半している。
 個人的な買い物は各自で払っているにしても未来が知っている範囲ではそれほど響は散財していない。
 特にここ数ヶ月はお菓子を減らしたり、衝動買いを我慢して切り詰めていた節がある。
 一体、何にお金を使ったのだろうか。
 響の顔を窺いながら未来は言う。
「さっきのは冗談で、お買い物分はちゃんと半分払うよ?」
「そうなの? あ、でも、うん。奢る」
「無理しなくてもいいよ」
「ううん。連絡も入れずに寒い外で未来を待たせちゃったのはわたしだし、大丈夫」
「響がそういうならご馳走になるけれど……」
「でもスーパーに行く前にATMは寄らせて」
 数メートル先にあるコンビニを指す響に未来は黙って頷いた。
 人の波を避けながら歩いて、コンビニに響と未来は寄る。
 軽快なチャイムが二人を出迎えた。
「ちょっと待っててね」
「うん」
 店舗の奥にあるATMコーナーに向かう響と離れて未来は店内へと足を向ける。
 偶々寄ったコンビニは家の近くにある店舗とは系列が異なっていた。
 同じようで相違がある商品に新鮮味を未来は感じる。
 一周するように商品を眺めるとレジに近い棚のエンドだけ装飾されていた。
 エンドの棚は三段に分かれており、一段一段に赤い布を敷いて、白色のリボンでデコレーションされている。
 天井からはピンク色のハートが吊され、可愛い丸文字でバレンタインデーと書かれていた。
 今年の一年に一度の告白の日は来週の日曜日だ。
 気持ちを後押しする華やかな売り場には、普段は見ない有名なメーカーのチョコレートが並んでいた。
 その一つを取って未来は眺める。
「おまたせー」
 財布を鞄に仕舞いながら、響が戻って来た。
 チョコレートを未来が棚に戻すと響の視線が追う。
「来週だね」
「そうだね」
「バレンタインデーの前って美味しそうなチョコレートがいっぱい並ぶから目移りするよね」
「響はよく限定のチョコレートに興味を惹かれてるよね」
「だってこの時期しか食べられないんだもん。そういう未来だって自分用に買うよね?」
「……嫌いじゃないもの」
「どのチョコレートも美味しいもんね」
 甘いチョコレートに淡い想いを込めるチョコレートは特別だ。
 見ていれば可愛らしさや艶やかさに心が楽しくなり、渡す時を考えれば胸が高鳴る。
 たとえ毎年渡し合っていても、その気持ちは変わらない。
「ね、未来」
「なぁに?」
「今年もチョコ作ってくれる?」
「そのつもりだよ」
 今年のバレンタインデーは日曜日だ。
 今週中に材料を揃えて、前日の土曜日
に作るつもりで未来はいる。
「その、リクエストしてもいいかな?」
「どうぞ。どんなチョコがいいの?」
「初めて作ってくれたチョコって覚えてる?」
「初めてって……小学生の時に交換したチョコのこと?」
「そう」
 響と出会い、友達になって。
 イベントとして交換していた既製品のチョコレートを初めて手作りしたのは小学校三年生頃だっただろうか。
 手作りといっても、溶かしたチョコレートを動物の形をした型に流して固めるという手作り初心者向けのチョコレートだ。
 そんなシンプルなチョコを響はすごいすごいと全身で喜んでくれて、未来もまた嬉しくなった。
 あの時は友達として贈ったけれど、響の笑顔は今でも覚えている。
 思い返してみると、もう特別な意味で惹かれていたのかもしれない。
「あの時のチョコって今でも作れる?」
「作れるけど……あのチョコは溶かして固めただけだよ?」
「わかってる。でも、今年はそれがいいな」
「響がいいなら私は構わないけれど……」
「ありがと、未来」
 ほっと安堵したように響が笑みをうかべる。
「っと、のんびりしてたらスーパー閉まっちゃうね。そろそろ行こ」
「……うん」
 思い出のチョコをリクエストをする響は、気のせいか緊張している様に見えた。
 子供の頃のチョコを大人の表情で欲するのは、ナニカ意味があるのだろうか。
 引っかかりを覚えたまま響の後に続いて未来はコンビニを後にした。



 バレンタインデー当日。
 リビングのテーブルには二種類のチョコレートが用意されていた。
 一つは赤い包装紙で包み、表面に金色のリボンのシールが貼ってあるシンプルで可愛いラッピングがされており、もう一つは濃厚なブラウンの包装紙で包み、白銀にラメが縫い込まれた細いリボンが斜めに結ばれている。
 一見は子供用と大人用に見えるチョコは、中身もそのまま子供用と大人用だ。
 響のリクエストを受けて思い出のチョコを再現したものの、何となく物足りなくて未来はチョコブラウニーも作った。
 味も専門店には劣るものの充分な及第点だ。
 ラッピングも施していつでも渡せるように準備に抜かりはない。
 それなのに、リクエストした当人が家を空けている。
 朝から出掛けたままお昼近くになってもまだ帰って来ない。
 相変わらずの鉄砲玉っぷり呆れつつも、端末に渋滞に引っかかったと連絡が入ってるだけ進歩はしている。
「渋滞も、しょうがないかな」
 どこにいるのか書いていないが、渋滞なら人が多い都市部に行ったのだろう。
 急がれて事故でも起こされては余計な心配が増える。
 未来自身も昨日のように寒い外で待っているわけではなく、暖かい屋内で帰りを待つだけだ。
 気持ちを切り替えて、未来はキッチンへと向かう。
 あったかいコーヒーを淹れてリビングへ戻り、テレビを着ける。
 テレビ番組はドラマの再放送や一週間の主要ニュースの纏め番組ばかりだった。
 適当にチャンネルを未来は変える。
 どこかのアミューズメント施設が映った。
 華やかなデコレーションの前で女性のリポーターが立っている。
 バレンタインデーに合わせたイベントが開催されているようだった。
 男女のカップルと思しき二人がリポーターのインタビューに答えている。
 コメントを流し聞きしながら、手元のチョコレートに未来は視線を落とす。
 初めてチョコレートを作った時は湯せんに失敗してボールを焦がした。
 焦げついたチョコレートは洗っても剥がれず、母親に苦笑された記憶がある。
 それからお菓子作りの本をもう一度読み直して、母親に教えてもらいながら再挑戦して成功したのが初めて響にあげたチョコレートだ。
 それが今ではどうだろう。
 本を一から十まで読まなくても、さっと目を通せば大凡の手順は把握出来るようになっている。
 チョコレートだけでなく、クッキーやケーキも作れるようになった。
 響の笑顔が見たくて暇な時に作っているのだから当然と言えば当然かもしれないが、チョコレート作りで大人になった自身を実感するとは思わなかったのが未来の正直な感想だ。
「大人、か」
 テーブルに頬杖を未来は自身の左手を見た。
 装飾がなにも施されていないまっさらな手は響と出掛ける時に時々アクセサリーを付けたり、淡い色のマニキュアを塗る程度だ。
「響のことだから覚えてないよね、きっと」
 おままごとのような結婚の約束は歳を重ねると薄らいでいく。
 記憶も、意味も。
 響が覚えていなければ、これまでまっさらだった左手はこれからもまっさらなままだろう。
 たとえそうだとしても後悔はしない。
 選んだのは自身だ。
 響が側にいたいと言ってくれて、傍にいさせてくれるのなら、約束を忘れられていても構わないと未来は思う。
 それでも寂しく思ってしまうのは、心のどこかで望んでいるのだろう。
 いつか、まっさらな左手の薬指に不変的な輝きが装飾される事を。
「たっだいまー」
 玄関から軽快な挨拶が飛んできた。
 馳せていた想いを中断して未来は立ち上がる。
 玄関へと赴くと、響が靴を脱いでいた。
「お帰りなさい、響」
「ただいま、未来」
 響の手はショッピングバッグを二つ持っている。
 一つは未来も知っている店舗の名前が印字されており、バッグの中はチョコレートだと推測できた。
 もう一つにも店舗の名前が印字されているが、未来は知らない店名だ。
 ただバッグの質感からそれなりのお店の商品が入っているのが窺えた。
 物入りはこれだろうかと、未来は思う。
「行く時は空いてたのに帰りは渋滞に捕まっちゃってさ。疲れちゃったよ」
「日曜日だもの。みんなお出掛けしてるんだよ」
「うん、そんな感じだった。バレンタインデーの特設会場はとくに人混みが凄かったよ」
「当日だからね。響はお目当てのチョコは買えたの?」
「わたしは予約がいるチョコだからばっちりばっちり」
 Vサインを見せる響は苦労した甲斐があったらしく、女の子の戦場で欲しかったチョコを勝ち取ってきたようだ。
 リビングで早速ショッピングバッグを開ける楽しそうな響を見守ってから未来はキッチンへと向かう。
「コーヒー淹れるね」
「ありがと。あ、お砂糖は抜きがいいな」
「はいはい」
 響のマグカップにコーヒーを淹れてミルクを足す。
 砂糖は入れない。
 リビングに戻ると、未来が用意したチョコレートの横に買ってきたばかりのチョコレートが並んでいた。
「お疲れ様。あったかいものどうぞ」
「あったかいものどうも」
 マグカップに息を吹きかけて、響がコーヒーを飲む。
「はー、疲れがとれるよー」
「それならよかった」
 足を崩して寛ぐ響の隣に未来は腰を落ち着ける。
 飲みかけのコーヒーは多少温くなっていたがまだ飲める温度だった。
「ね、未来」
「なぁに?」
「チョコレート、二つ作ってくれたの?」
「時間があったからね」
 肩を竦めて、真意を未来はぼかす。
「そっか。わたしも未来と一緒にチョコレート作りたかったなぁ」
「響は昨日お仕事だったでしょ?」
「そこがねー……。社会人の辛いとこだよね」
「社会人の自覚あったんだ」
「ひどっ!」
 コーヒーを吹きそうになる響に未来は笑う。
「わたしだってちゃんとお仕事してるのに」
「知ってるよ」
「未来と一緒だから頑張ってるのに」
「うん、それもわかってる」
「それに、もうそろそろいいかなーと思って、ちょっと前から準備してたのに」
「準備?」
「あ、えと」
 拗ねた拍子に口が滑ったのだろう。
 口を響は手で覆う。
 そのまま響の視線が上を向いた。
 思考を逡巡させているのか、落ち着きが失せる。
 未来がコーヒーを飲み終わるまで視線の水泳は続き、ゴールに着いたのか未来に焦点が合う。
「あの、さ」
「なぁに?」
「チョコレート、もらってもいい?」
「いいよ」
 元より響の帰りを待ちわびていた身だ。
 未来に異論はない。
 テーブルに用意していた大人と子供のチョコレートを重ねて未来は差し出す。
「今年も受け取ってくれてありがとう、響」
「わたしの方こそありがとう」
 嬉しそうに、けれど緊張した面もちで響は未来のチョコレートを受け取った。
「開けていい?」
「どうぞ」
 濃厚なブラウンの包装紙を響は丁寧に開く。
 包まれていたのは真っ白な箱。
 洋菓子用の真っ白な箱には一口サイズのチョコブラウニーが綺麗に並んでいる。
「わっ。美味しそう」
 瞳を輝かせて一つ響は摘まむ。
 しっとり焼かれたブラウニーは固すぎず柔らかすぎず。
 適度な弾力で響の歯に応える。
 咀嚼するとほろほろ崩れて、濃厚な甘チョコと生クリームの甘味が後をひいた。
「美味しい」
「響の口に合ったら嬉しいな」
「お世辞じゃないよ。ありがと未来」
 ぺろりと指先を舐めて、チョコブラウニーの箱を響はテーブルに置く。
「こっちはわたしがリクエストした方?」
「そうだよ」
 赤い包装紙を未来は丁寧に開ける。
 でてきたのは、チョコブラウニーよりも一回り小さい白い箱だった。
 チョコブラウニーよりも一回り小さな箱は、お菓子作りのコーナーで材料と一緒によく見かける箱だった。
 開けると、一口サイズの色々な動物の形をしチョコレートが沢山入っていた。
 型に流して固められたシンプルなチョコレートに響は目を細める。
「懐かしいね」
 当時に思い馳せているのか、響の表情は柔らかだ。
 一つ摘まんで、響はかじる。
 固いチョコレートはブラウニーのように噛んでも崩れない。
 ゆっくり口の中で溶かして響は味わう。
 こくりと響は嚥下した。
「へへ。ありがと、未来」
「どういたしまして」
 ぺろりと指先を舐めようとして、響は止めた。
「ちよっと手を洗ってくるから待ってて」
「うん」
 洗面所に駆けて行き、手を洗ってから響は戻ってくる。
 座り直した響は正座だった。
「実はね。わたしも二つ用意してあるんだ」
「そうなんだ」
「一つ目はね、これ」
 先刻、取りに行ったばかりのチョコレートを響は差し出す。
 未来に用意されたチョコレートは有名なお店のバレンタインデー限定の生チョコだった。
 賞味期限が当日のみと生チョコの中でも短いもののとても人気があり、なかなか手に入らない。
 バレンタインデー当日の予約は開始早々終了していた。
「……よく買えたね」
「去年からずっと狙ってたもん」
 えへんと響が胸を張る。
「ありがとう。……嬉しい」
「未来が喜んでくれたなら頑張った甲斐があったよ」
 喜びを噛み締める未来の微笑みに照れくさくなったのか、響が頬を掻く。
「もう一つなんだけど。ちょーっと目を閉じてくれる?」
「……こう?」
「そうそう」
 目を閉じた未来の耳にガサガサと紙が擦れる音が届いた。
 帰ってきた時に持っていたもう一つのショッピングバッグもバレンタインデーのプレゼントだったのだろうか。
 小首を傾げながらも目を閉じたままでいると、左手が持ち上げられた。
「響?」
「まだ目は開けないでね」
 釘を刺された未来は響の好きなようにさせる。
 指先に硬質な冷たい質感が触れて、未来はヒヤリとした。
 視覚を封じられたままでは、どんな物質なのか確定できない。
 ただ金属のようだったと未来は思う。
 金属と思しきナニカは指をぐるりと一周囲んで、指先から指の付け根に向かって進んでくる。
 その指は薬指だった。
「ひ、ひび……」
「待ってっ! もうちょっと待っててっ!!」
 指の付け根に収まった質感に未来の胸が高まる。
「未来」
「は、はい」
「目を開けていいよ」
 ゆっくりと目を開けて、未来は左手の薬指を見た。
 まっさらだった左手の薬指は銀色のリングで装飾されていた。
「未来、約束覚えてる?」
「やく、そく?」 
「子供の時の約束。覚えてないかな?」
 言って、動物のチョコを響は一つ摘まむ。
「このチョコレートをくれた時ぐらいだったと思うんだけど約束したよね? 大人になったら未来をお嫁さんにするって」
「……覚えて、たの?」
「覚えてるよー」
 へらりと笑って響は口に入れる。
「ひゃって、みひゅとのはひめてのやくひょくだもん」
 緊張感なく響は約束を綴る。
 こくりと響がチョコを嚥下した。
「あの時は未来とずっと一緒にいたくてテレビの真似っこだったんだけど」
 ぺろりと指先を響は舐める。
「ずっと未来のことは大好きだし一緒にいたいし。あの頃よりも、もっともーっと未来のことが好きになってるし、愛してる」
「ひび……っ」
 愛の一言に未来の鼓動は早まり、溢れた想いに声が詰まる。
「まだまだししょーや緒川さんみたいに堂々と大人とは言えないけど。お仕事もして、こうやって未来と一緒に暮らせるぐらいには大人になれたと思うから」
 両腕を床に着いて、響は身を乗り出す。
 未来の間近に迫った顔は幼い頃の面影を残っている。
 けれど、責任も言葉の意味ももう理解している大人の顔だった。
「未来をわたしのお嫁さんにしてもいいかな?」
「……響は私のお嫁さんに、なるの?」
「うん。未来はわたしのお嫁さんでわたしは未来のお嫁さんっ!」
「やっぱりどちらもお嫁さんなんだ」
「え? わたしはお婿さんの方がよかった?」
 思わず未来は吹き出した。
 そういうつもりではなかったのだけれど。
 それもいいかなと、未来は笑う。
「ねぇ、響」
「ん?」
「この指輪、どこで買ったのか教えてくれる?」
「ほぇ?」
「私もお嫁さんに同じ指輪を贈りたいな」
 響の瞳が一度、二度と瞬き、未来の真意を解した顔がぱっと太陽のように輝く。
「え、とねっ! お店は―――」
 喜び勇んで説明する響ははち切れんばかりの笑顔を振る舞う。
 幼い時から大人になった今でも変わらない笑顔は、未来の大好きな笑顔で愛しい笑顔だ。
 響に相槌を打ちながらそっと左手に未来は触れる。
 まっさらな左手に初めてされた装飾は、いつの間に調べたのか未来の指にぴったりだ。
 見つめる未来の気持ちに友情と愛情が重なり、好きが溢れる。
 幼い約束を大人の約束に昇華した指輪が静かに輝いた。

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